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 No.189

三輪 薫(みわ かおる)


No.189 『写す』/生写真 2003/8/2

僕は一貫として自分の作品をメインに発表するのは個展で、自分の表現世界を確認し続けてきた。画家などが画集で自分の作品を、自分が求める世界を出し、伝えられるとは思っていないのと同じ姿勢と考え方である。彫刻家も作品集で表現を伝えられるとは思っていないだろう。生の作品に触れることで、伝わることもあるはずである。なのに、日本の美術館では、世界的に有名な彫刻が展示されると、ガラス張りのケースに収まり、その前にガードマンが立ちはだかり、多くの方が押し寄せるため仕方ないとは言え、鑑賞者を無視したような振る舞いを疑問もなく行う。同じ作品が、海外の美術館では、誰もが触れることが出来きそうな環境に置かれている場合も多いというのにである。

だからと言うわけではないが、この様な展示会には行ったことがないし、行く気も起きない。リスクは大きくとも、本物の作品には正常な状態で鑑賞したいと思うからだ。

同じように、僕の作品も同様に考えている。先のデジタルによる個展「風香」は、和紙に出力した。和紙は風合いに独特の特徴がある。観たら、この作品の和紙に触れたいと思うだろう。しかし、本音では触れて欲しくないのだが、敢えてカバーなしで展示した。デジタルプリントは銀塩プリントとは違って、最高の状態で再出力が可能と言うこともあり、覚悟の上のことだった。生なものを、生の目で観てこそ、本当のことを伝えることが出来ると考えたからである。音楽でも、レコードやCDを買ってくれるだけで喜ぶ音楽家はいないか、少数派と思っている。やはり、生の音を聞いて欲しいと思っているだろう。役者も生の自分を見て、感じてくれる舞台に掛けている人もいる。写真も同じことである。

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