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 No.191

三輪 薫(みわ かおる)


No.191 『生きる』/心強い言葉 2003/8/10

「平凡なことを本気でやる者は、必ず大を為す者なり」との言葉を新聞で見かけた。実に心強い言葉だった。僕の自然風景を撮った作品は、どれもこれも日常にありふれた情景で、特別にドラマチックな出会いではない。色合いや光と影なども強調しない作画である。その点では、平凡な作風と言えるだろう。鮮やかな彩りや、インパクトのある光と影を引き出した作品には驚きを隠せないが、僕のような「たわいない表情や色の作品」には、無縁の世界である。この様な作画にも灯火程度の可能性はあると信じて撮り続けてきたが、この言葉には、生き方や人間そのものについてではなく、どのようなことでも、平凡なことでも、コツコツと続けることが大切なのだ、と言うことを教えてくれているような気がした。

僕は写真の世界で自然風景に拘っているわけでもなく、何でも興味があり、過去には結構いろいろな世界での作品創りをしていて、個展などで作品を発表してきた。ただ現在は自然風景にのめり込んでいるだけなのだ。自然風景を被写体にして撮ることを決めた時に思ったのは、自分にとって何に興味を抱き、被写体を借りてどのように自分をさらけ出して行けるのだろうかと言うことだった。

僕が尊敬している自然を撮る日本の写真家は白川義員氏と水越武氏である。世界中に数々いる写真家でも成し得なかった、命と鋭意を掛けて取り組んで撮り続けている白川氏。自然体系をしっかりと作品表現に込めて撮っている水越氏。共に平凡ではなく、非凡な生き方や作品創りをしていると思っている。そのような生き方や作品創りには到底及ぶことはできないと考えている自分にとっての写真との関わりを考えた時、風景を撮ろうとした時に、幸いにも水越氏にアドバイスいただいた、「麓にもよい被写体があり、そこでも写真家として生きる道がある」と言われた言葉が今でも鮮明に蘇ってくる。目先の派手さやインパクトを追うだけが人生ではないと、言われたような気がしている。今や珍しい、ライツとコダクロームにいまだに拘りを持ち続けている水越氏らしい言葉だった。だから、ベルビアとPLフィルターをメインにしか出来ない他の人と一線を画し、一味違った作風や生き方を貫くことが出来るのだろうと思っている。

世の中には太く短く生きる人、細く長く生きるしかない人、上辺で生きる人、様々である。勿論、先の両者のように太く、永く、本音で生き、活動している写真家もいる。しかし、僕には自分にしか出来ない生き方や、写真家としての活動があり、選択したのが平凡な生き方と僕自身が平凡な作風に反映できる作品創りだった。

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