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 No.197

三輪 薫(みわ かおる)


No.197 『写す』/いつまでも眺め続けてほしい作品 2003/10/1

今、銀座や丸の内辺りでは、海外のブランド品ショップがひしめくように軒を連ねている。今をときめく六本木のホテルにオープンした店など、開店を徹夜で並んで待っていた人が多かったとTVのニュースで流していた。この様な有り様を見ると、日本の何処が不景気なのか理解できない。

しかし、このような店で買った同じような品を多くの人が身に付けている姿には、以前から疑問を感じている。海外のブランドショップに日本人が押し寄せ、買いあさっているという話しも随分以前から多く聞かれる。確かにブランド品の良さもあり、僅かだが僕も持っている。また、1点豪華主義もよいだろうが、相応のトータルとしてのバランス感覚もあるはずである。中学や高校の修学旅行用にと1個10万円以上もするバッグを親子で買いに行き、ぶら下げて歩いている学生などの姿は、親子揃っての趣味とは言え、まともに見ると滑稽に感じるのは貧乏人のひがみだろうか。一時期成田離婚と言う言葉が聞かれたことがあった。超豪華な結婚式を挙げ、海外での新婚旅行を終えて帰国して待っているのは、それらとはかけ離れた現実の生活不安もあるからかも知れない。

このことは、写真の世界にも当てはまるような気がする。今の時代受けを狙ったような撮り方をした作品作りを優先するか、時代を超えた普遍的な持続性を目指して作品創りをするかを考えさせられる。僕は個展をメインに作品を発表し、同時にこれらの作品を販売している。自宅や仕事場などで飾って観て欲しいと思っているからである。オリジナルプリントの作品は、気軽に買えるポスターなどと比べると高額である。それでも買ってくれるのは、身近でもっと観続けたい、永く飾って観て楽しみたいと判断してくれたからだと思っている。

束の間の鑑賞で終わって捨てられてしまうのであれば、先のファッションと同じである。永く観てもらうためには、購入者側に「いつまでも眺めていたい」と言う気持ちや、それを裏付ける見飽きない価値観と魅力を抱かせる作風が必要である。僕が自ら惹かれてきた世界は、一見のインパクトよりも、眺め続けていると、じわじわとその作品からイメージや感動や味わいが沸き上がってくるような作風と表現だ。これは難しいことである。飾っていても気にならず、かと言って無味乾燥な作品ではなく、飾り観ることによって日常の生活などに心の潤いを与えてくれる内容だと考えている。そのためには一見平凡な作風でありながら、難しいが非凡な味わいを与えてくれる作画が望ましいと思う。この事は先のファッションデザイナー皆川明氏の服作りの姿勢と共通性があるような気がする。

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