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 No.198

三輪 薫(みわ かおる)


No.198 『写す』/デジタルカメラの進歩 2003/10/7

最近のデジタルカメラの進歩は目覚ましく、あれよあれよと言う間に画素数も1000万を越えてしまっている。コンパクトカメラでさえ500万画素が主流となってきたようだ。レンズ交換式の500万画素を越えたデジタルカメラも、10数万円で入手できるようになってきた。僕はと言えば、EOS D30、D60、10Dと毎年のように買い続けてきた。と言うよりも、作品創りのために必要で便利なスペックが次々と内蔵されてくると、どうしても買い続けなければならない。少しずつ充実してくる機構が、買いたくなる、いや、買わざるを得ない心境に追い込んでくれる。必要なスペックを小出しにするメーカーの販売戦略に載せられているような気がしている。日進月歩の世界に付いて行くのは大変である。

キヤノンに限らず毎年新しい機種を次々と発売してくれるが、数十万円もしたカメラであっても、あっと言う間に古くさく感じてしまう悲しさも付きまとう。昔のメカニカルカメラなら、この様な高額のものは一生ものであった。しかし、デジタルの同じレベルのカメラでは発売の度に値下がりするのだが、買うのも買わないのもツライ部分もある。よくいつ頃買えばよいのでしょうか、などと質問を受けるが、年々値下がりして、購入の時期を決めるのは難しい。一時期のワープロやFAXと同じで、自分で購入価格を決め、その価格になったら買うしか決めてはない。

テレビのコマーシャルでは、もはや銀塩カメラなど見られなくなり、デジタルカメラさえ滅多に登場することがなく、カメラ付き携帯電話機が主流となってきた。カメラ誌への広告でさえ、デジタルカメラが多くなってきて、インクジェットプリンタの広告も目立つ。もはや世の中デジタル、デジタルの世界なのだから、参ってしまう。

昔の電送写真と違って、今は人工衛星を使えば世界中どこからでも即送信できる。時間が勝負の世界では、デジタルにはよき時代となっている。しかし、作品創りとしてのデジタルカメラは、果たして主流になり得るのだろうか。と思っていたら、これもトーン再現など、まるで銀塩フィルムで撮ったような素晴らしいものに、かなり近づいている。銀塩の再現性を越えるのは、もはや時間の問題だろう。

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