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 No.204

三輪 薫(みわ かおる)


No.204 『写す』/消耗品感覚のデジタルカメラ 2003/12/5

発売当時は数十万円もするレンズ交換式のデジタルカメラでも、発売後1年も経つと購入価格がビックリするほど安価になってしまう。次々と新機種が発売になり、しかもレベルアップしながらも、より安価になってくるからだ。携帯電話やパソコンでも同じである。以前のメカニカルカメラは、数年ではとても古くなったという印象は受けなかったし、ハッセルブラッドやM型ライカのように、機種によっては数十年経っても古さどころか、いつまでも新鮮に感じ、愛着もあり、心を豊かにしてくれるカメラもある。そのような機種は道具としての完成度が高く、作りもしっかりしていて、デザインも優れているからだろう。しかし、今時のデジタルカメラは、道具としての機能を優先に考えると発売される度に買い替えたくなってくるし、明くる年には次機種も発売され、過去の遺物のように感じてしまうことがある。カメラの能力を追いかけると次々と買わざるを得なくなり、流行を追いかけて買うものと同じ感覚になってくるような気がする。しかし、買い続けるには高額で、その寿命が余りも短すぎるのが難点であり悲しく、新機種を買っても以前ほどの喜びがないのは、やはり寂しい。

写真を生業としている者にとっては、凄い進化を見せるデジタルカメラの魅力と実用価値は否定できない。しかし、趣味として写真を楽しむ者にとっては、デジタルフォトへの取り組みは心しないと大変なことになる。子供の習い事のピアノとエレクトーンとの違いに似ている。ピアノはある程度のものを買っておけば、当分は使い続けることが出来る。しかし、エレクトーンは弾く人の能力に合わせ、次々と高級タイプに買い換えを余儀なくされる。結果として、ピアノ数台分の出費になることなど珍しくはない。また、デジタルフォトはカメラだけでは収まらなく、周辺機器のパソコンやプリンタ、ソフトの能力も日進月歩で買い換えが必要で、もう際限がない。

しかし、デジタルカメラは撮ったその場で結果を確認できたり、色温度によって変化する色合いの再現性を確認できる利点もあり、写真教室の生徒さん方にも購入を勧めているのも事実である。また、特に写真という概念に囚われないで、映像での表現を目指している僕などにとっては、銀塩とは一味違うデジタルでの可能性には大変大きな魅力を感じている。来年1月には、EOS D30〜10Dなどで撮り続けてきた自然風景の作品を、伊勢和紙に出力した個展「風色-II」を開催し、名古屋/大阪/仙台/札幌と巡回展も行う。

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