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 No.208

三輪 薫(みわ かおる)


No.208 『写す』/写真と人生の楽しみ 2004/1/1

世の中便利になるほど逆を求めることもある。最近受け取る便りなどもワープロからパソコンに変わり、手書きはめっきり減っている。僕も同じだ。印字された文章には味がないし、手紙よりメールが大半になってきている。事務的な仕事ではまことに便利であり、原稿のチェックなどには欠かせなく、仕事柄、宅急便と共に今やなくてはならないもので、時間の節約にも一役買っていると痛感している。

しかし、日常生活の中では便利さだけを追求していて、果たして満足が得られるかどうかと言えば疑問である。カメラも同様で、AE/AFの便利さと確実さは認めるが、撮っていて楽しいかと言えばそうではない部分もある。対象を見てカメラを構え、じっくりと撮る楽しみもある。メカニカルカメラで、露出も単独メーターで測り、絞り値とシャッター速度を決め、ピントの位置をファインダーやピントガラスの画面で見て決めるのも充実感がある。昨年暮れに中判カメラを買いたいという方に、この様な機種を勧めた。写真を撮る楽しみを味わって欲しかったからである。長い人生、慌てないでのんびりと過ごし、写真と付き合う嬉しさや幸せもあると思う。

この至福の時を味わえるのは大判カメラが一番だろう。カブリを使ってピントガラスを覗き、ルーペで確認し、おもむろにフィルムホルダーを取り出して撮影する。時代に逆行した撮影だからこそ充実感に満ち、楽しいのだと思っている。

最近の田舎の改築された家でも、縁側がないのも珍しくないようだ。縁側は人との対話や憩いの場所である。お茶を飲み、漬け物をかじりながら近所の方などと、のんびりと話して過ごしたり、温かな日差しを受けてまどろむのも生活の一部だったはずである。合理的な生活空間になって失われて行くものも多い気がする。写真の世界も同様だろうと思っている。今年は、暫く休憩していた大判の世界も、心ゆくまで楽しもうと思っている。

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