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 No.220

三輪 薫(みわ かおる)


No.220 『生きる』/イラクでの誘拐、開放後の政府の対応 2004/4/17

今回の誘拐事件は、あっと言う間に世界中にニュースとして流れ、インターネットをフルに活用して世界中の世論を動かしたことでも解決を早めたようだ。日本の政府は、盛んに裏交渉のプロセスを力説していたが、政府の努力が功を奏して解放されたとは思えない。

アメリカなどに協調していない国の一般人でも殺されている。この3人が結果的に無事でいられたのは、誘拐したイラク人から見てアメリカ側や日本政府側に立つ敵視する人達ではなく、味方であったことを理解したからだろう。この辺りを首相や政府の人達は勘違いしている。もし、誘拐されたのが日本国政府側の自衛隊員であったら、今回のように無事解放されたかどうか疑問だと思っている。

国内であろうと、海外であろうと、国民が困っているときには手をさしのべるのが政府であり、日本国民を守る義務があるのを、忘れてでもいるかのような情けない言動が目立っていた。雪山の遭難でも同じである。勝手に登ったのだから、遭難してもお前達が悪いのだから、自己責任で解決しろと言っているようなものである。

また、盛んに税金のことを言っていたが、今回の自衛隊の派遣で用意した税金や、放漫経営への責任追及をいい加減にした企業への税金投入の浪費や、官公庁の税金の無駄使いから比べれば、口に出すのも恥ずかしい金額だと思うがどうだろうか。

今回の三人は、派遣された自衛隊員ですらどれだけ事実を把握しているのか疑問な劣化ウラン弾の問題を心配し、追求していたり、肉親を殺されて街に放り出された子供達を憂えてイラクに行ったり、絶えずアメリカ側に立ってしか伝えられなかったイラクの現状を、イラク側からも見て、本当の事実を伝えようとしている人達である。莫大な国税を使いながらも、イラクの民衆のためにどれだけのことを行えているのか怪しい自衛隊員より、これら三人の方が遙かに明確な目的と行動を感じることができる。なのに、あれほどまでの強い口調で非難しなければならないのは、三人の行動が政府にとって困ることでもあるのかと、つい、余計なことを考えてしまう。

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