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 No.221

三輪 薫(みわ かおる)


No.221 『写す』/写真の歴史とデジタル時代 2004/5/9

写真界もデジタル時代に突入し、160年以上もの写真の歴史に新たな時代を築き上げようとしている。しかし、デジタル写真はまだまだ過渡期に過ぎないと思っている。なのに、時代はデジタルと、長年続いてきた、積み上げてきた銀塩世界をいとも簡単に捨て去ろうとした動きが目立つように感じている。

現在の写真界を見ていると、時代の流れに乗り遅れまいと安易にデジタルに走っているプロの人もいるような気がする。何故デジタルでなければならないのか明確な理由が見当たらない写真も多く見受けるのだ。何故だろうか。

アナログ写真の権化と自負する僕も、昨年7月からデジタルでの個展を相次いで開催している。デジタル時代に、特にデジタルカメラに傾倒しているのではない。長年研究を続けてきた「カメラで日本画や水墨画を描く作風」が、デジタル時代になってやっと実現できると信じ、確信を抱いたからである。GWに開催した個展は3回目だが、和紙に出力する魅力にはまっている。しかし、だからと言ってデジタルが全てとは思っていない。

今年は3つの個展を開催するが、9月の個展「Rock」は、全て銀塩で行う予定である。160年も歴史のある銀塩世界にも、デジタルとは違った魅力と可能性を秘めていると判断してのことである。

巷のカメラ店では、店舗の大半がデジタルカメラなどに占拠され、銀塩カメラは片隅に追いやられているような気がする。悲しいことだ。勿論、デジタルにはデジタルならではのよさがあり否定しないし、デジタルプリントでの個展「風色-? 」は、全てデジタルカメラで撮った作品である。しかし、まだまだ銀塩は健在であり、昨年開催の「風香」展では645判フィルムをドラムスキャンしたがデータ上で換算すると銀塩の8×10インチ判に近くなると言う。小型カメラの画素数が1,000万を越えたとは言え、銀塩では35ミリ判フィルムの情報量には遙かに及ばないと言う現実を示している。それほどに銀塩世界は、まだまだ素晴らしい表現力を持っているのだ。

しかし、凄い勢いで進歩するデジタル世界には驚く他はなく、数年先には長年掛かって積み上げてきた銀塩世界を凌ぐ時代になるのかも知れない。デジタル恐るべしである。だからこそ、アナログの権化と自負する僕も、デジタルでの研究を怠らない。

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