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 No.224

三輪 薫(みわ かおる)


No.224 『生きる』/呆れた野党と末期的な与党 2004/5/31

国民年金問題で日本の政治家の醜聞が相次いでいる。与党を代表する議員の開いた口もふさがらない言動には末期的なものを感じるが、多少救いがあると思っていた野党も、一体何を考えているのか分からないあきれ果てた行動に明け暮れているような気がする。

今、年金問題に振り回され、国会審議が揺れている。野党の第一党である民主党は何故に与党に迎合しなければならないのか、党首を首にしなければならないのか、よく理解できない。夏の参議院選を控え、この選挙で国民の是非を仰がねばならない問題を、野党の立場でどうして急いで決着を付けなければならないのか実に不思議である。現状を国民に問い続ければ、いくら与党が強引に採決を図ろうとしても、参院選を控え強行採決などできないからである。

大多数の国民が反対している法案を、強行的に採決をしようとしている与党も分からない。これらの理不尽な政治家を選んだのも国民である。どうして民意と反対のことを行う政治家を選ぶのか、それらの政治家を選んだ選挙民に問いただしたいと思う。

今、野党に課せられたものは、与党の駆け引きに乗ることよりも、国民に是非を問うことが先決で、党首を引きずり下ろすことではない。そのようなことは肝心のことを行ってからでも、いつでもできることだからである。子供でも理解できることを、大人であり、国民を代表する国会議員が全く理解できていないとは、実に情けないことだ。

このような国会議員になりたがる人も相次いでいるようで、これも情けないことである。僕らの子供の頃には、尊敬する人の代表は政治家であり、総理大臣であったような気がする。しかし、現在尊敬に値する政治家がどれほどいるのか疑問ではないだろうか。今や国民のために人生を掛けようとする政治家よりも、自分の私利私欲や権威欲に溺れた政治家や政治家志願者が後を絶たず、情けない思いで一杯である。

イラク問題にしても、人道支援と言いながらも、アメリカなどが正義面して派遣した軍人は人道支援とは言えないおぞましい行動を取っている事実が暴露された。このアメリカに追従し、現在も同様の態度を決め込んでいるのも日本政府である。これを決めたのは政治家であり、最近の言論の自由を束縛するような方向に誘導したがる政府や役人などの行動を見ると、何を信じてよいのか全く分からない末期的な時代に突入してきたような気がする。犠牲が余りにも大きかった先の戦争体験が生かされていない危惧を感じている人は多いはずだ。

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