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 No.227

三輪 薫(みわ かおる)


No.227 『生きる』/程良い音量と光や冷暖房 2004/6/25

街頭やショップやレストランなどで流している音楽も気になる。騒音としか思われない大きな音量が意外と多く閉口している。このような場所で働いている人は気にならないのか不思議である。映画館の音量も然り。特に今の若い世代には、身の回りに何か音が流れていないと不安になるのだろうか。

僕の声は大きい方で時々配偶者に注意を受けることがあるが、レストランなどで室内に声が反響するくらいの大声で話している光景に出会うことがある。先月泊まった佐賀のホテルでは、遅く着いたので唯一空いていたラウンジで少し飲んでいた。しかし、集団での余りにも大きすぎる声に閉口し、もう少し静かに話してくれるように伝えてとホテルの方に頼んだが、直ぐに元の大声に戻ってしまった。先日泊まった伊豆のホテルでも、ご年輩のご婦人方の話し声が気になったが、ホテルマンは注意するどころか楽しそうにお相手をしていたから呆れてしまった。撮影実習の帰りに寄った高尾の蕎麦屋では、仲間達とお酒を飲んでいる10数人のグループに出会った。間もなくガラス戸も共鳴しそうな大きな声を張り上げ始めた。他の客は僕等だけだったが、声は大きくなるばかりで仲間の誰一人注意する者はいなかった。食べ終わってそそくさと後にした。自分たちしかいない場所ならともかくとして、このような振る舞いには戸惑ってしまう。

無音に近い静けさと同様、余計な光がないのもよいものである。子供の頃に度々繰り返す停電で照らしていた蝋燭の灯りや、車で寝泊まりしながら撮影していた時に森の中で体験した無音を伴う闇も、田舎で育った僕には何故か懐かしく惹かれるものがある。

冷暖房も同じで、電力不足だと言いながら都会には過剰な光が溢れる所が多すぎる。一方では、防犯上にも必要だと思われる所には街灯が少ない現実もある。都会では夏は寒く冬は暖かすぎる場所が多いのも、一向に改善されていない。何故だろうか。

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