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 No.232

三輪 薫(みわ かおる)


No.232 『写す』/アンリ・カルティエブレッソン 2004/8/7

「決定的瞬間」の写真集やM型ライカ使いなどで有名なアンリ・カルティエブレッソン氏が、3日に亡くなったと新聞に掲載されていた。35年前頃に写真学校で学んでいた時にも、僕も大きな影響を受けた作家で、スナップショットは当時も全盛になりつつあった小型カメラの一眼レフより、レンジファインダー式のカメラのほうが、シャッターチャンスを的確に捉えることが出来ることを思い知らされた。貧乏学生で、M型ライカなどは買えず、親しくしていたカメラ店の店長の好意で、キヤノンP を 35mmレンズ付きで入手。ブレッソンもこの同じ焦点距離35mmで多くの素晴らしい作品を残している。

僕らの年代の者にとっては、影響を受けた写真家が国内外共に亡くなる人が多くなり、とても残念で寂しいが、自分の歳を考えると時の流れに感慨深いものを感じる。

僕が写真を学び始めた35年くらい前は黒白がメインだった。勿論、巷ではカラー写真も広告写真やグラフ誌には多く使われていたが、時給150円のアルバイトの身で、現在とフィルムも現像代も変わらない時代には、カラーなどを撮る勇気はなかった。黒白フィルムや印画紙でさえ心ゆくまで買い、使いたいと、何度思ったことか、、という時代だったのだから。

当時、もっぱら見て学ぶ写真集は黒白。三脚を据えて撮る写真などは、広告や滅多に撮らない風景のみと考えていた。小型カメラの手持ち撮影による作品創りへの姿勢や願望もあり、ブレッソン氏などの作品は、先生のお宅に度々伺って、まず手を洗い、姿勢を正して見せていただいたものだ。フィルムや印画紙も満足に買えなかった自分にとっては、このような写真集はとても高くて買えなかった。写真集から影響を受けた写真家は、国内外を問わず多くいた。新本は買えないので、課題写真を撮る途中で古本屋や中古カメラ店をよく覗いていた。上京してからも同じで、さすが東京、嬉しい写真集にも数々出合い、今も僕の本棚に並んでいる。森山大道さんや東松照明さんのものなど、、、。

上京して弟子入りしていた頃に初めて買った新本写真集は、エルンスト・ハース氏のもの。お陰で、昼飯を随分抜く羽目になった。嬉しく、辛く、ひもじい思いをした写真集だ。土門拳氏の「古寺巡礼」の初版本は、今は亡き親父を説き伏せ、お願いして購入。当時の僕の給料が7〜8万の時に30万円近かったような気がする。僕の宝で、大好きな石本泰博さんの「シカゴ・シカゴ」も初版本ではないが、印刷会社に残っていたものを製本したものを見つけ、入手できた。

しかし、黒白フィルムだけではなくカラーフィルムも心ゆくまで買える時代になり、当然のように写真集も増え続け、海外に行った時など、帰りのトランクが写真集で重くなり、お陰で何度もトランクが壊れた。

カメラ誌にしても、編集部の方達とは顔見知りで処分できずに溜まる一方だ。遂に本棚や部屋の床などからはみ出たものが、階段の下段から上段までも各段に高さ50cm前後に積み上げている。まともに歩けないため、ひんしゅくを買っているが、どうしても処分できないでいる。大邸宅や大きな書庫があれば別だが。

ブレッソン氏に対して僕の反省点は機材やレンズの多さである。35/50/90mmの3本で、あのような素晴らしい、世界の歴史に残る作品を多く残されたのだから。僕はと言えば、良い作品を残さず、機材を残す! 家族は、決して喜ばない。

アンリ・カルティエブレッソン氏に、感謝! そして、合掌。

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