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 No.233

三輪 薫(みわ かおる)


No.233 『生きる』/戦争とエゴ 2004/8/12

8月に入ると、毎年のように先の戦争や広島、長崎に落とされた原爆の話が繰り返される。戦後生まれの僕たちの世代はともかくとして、僕らの子供達の世代にはこの戦争があったことすら知らない者も多いと聞く。だからこそ、愚かな先人達の行為を忘れられるよりは尚更繰り返し話し伝える必要があるだろう。その上で、平和に暮らすことができる幸せを改めて自覚し、その幸せを世界中の人達と分かち合うために恵まれない国の人達に手を差しのべることも大切である。

イラクでは、いまだに殺戮が繰り広げられている。日本政府は日本国憲法などお構いなしで、一部の人間の勝手な憲法解釈で、人道支援という名の下に自衛隊を派遣している、いや、派兵している。ということは、大国にすがって戦争に荷担していることに他ならない。水の補給などは血税である大金を使った自衛隊を派遣しなくても、民間委託や現地の人に依頼しても可能だと思う。物資の支援と言いながら、病院では使えない古びた毛布を大量に送っている現実をテレビで放映していた。何というあさましい日本だろうか。恥ずかしい限りである。

殺戮の戦争などは一部の人を除き、望んでいない人が大半だ。しかし、何故に人は争いを続けるのだろうか。宗教性、思想性や生き様の違い、人生観、どうしようもない貧富の差が原因なのだろうか。

日本は、先の戦争で自国他国共に多くの犠牲者をつくり出し、戦争はもうこりごりのはずである。だから戦後に生まれた憲法での戦争放棄を長年日本国民が支持してきたし、世界的にも評価されてきたはずである。なのに自国を守るための自衛隊をいつの間にか海外に派遣するようになってしまった。戦地に行き、殺し合いの現場に立たなくても、そのようなところに行くと言うことは派兵と同じであり、今だ殺戮が繰り返されている国に安全な場所などあるはずはない。派遣された自衛隊員の無事を祈るのみだ。

同調した人達はまず本人が行き、自分の子供達を率先して戦地へ向かわせるがよいと思う。自らや家族が矢面に立ってこそ戦争を支持した証や貫いた主張を示すことが出来る。しかし、この様な人達は自らは逃げ、自分では絶対行くつもりはないと確信している。今の日本の政治家や官僚など、誰が代行してもやることに大して違いはなく、日本に大きな変貌を期待することはできないだろう。だからこそ、派遣(派兵)賛成者は是非ともイラクの最前線に行き、自分がイラクで何ができるかを示して欲しいと思っている。

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