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 No.234

三輪 薫(みわ かおる)


No.234 『生きる』/戦争体験が生きていない日本 2004/8/15

終戦記念日を迎え、毎年毎年考えさせられることも深くなる。僕も含め戦争の実体験がない国民が多くなり、国会議員も非体験者や終戦時が幼少で記憶が明確ではないと思われる人が多くなってきた。戦争体験者の多くが憲法改正には反対であるのに、国会議員達が憲法の改正を唱えたり、多くの国民の意思を反映しているとは思えない言動をとるのはどうしてだろうか。

戦後すぐに生まれた僕らの世代は、親が戦争体験をしていて様々な話を聞かさせれて育ってきた。しかし、僕らの子供の世代は、祖父や祖母から直接そのようなことを聞く機会さえ少なく、戦争や敗戦の悲哀などとは縁遠い世界に生きているだろう。義務教育で何故現代史も重視して教えないのか疑問である。僕らが義務教育を受けていた時代には日教組が力を持っていたと思うし、その時代の教師には体験者も多かったはずだが、そのような話や授業内容は余り記憶にない。取り敢えず入試にしか役に立ちそうもない丸暗記の昔の歴史に重点を置くよりも、今の生活に密接した大切な現代史を教え込んだ方がよいに決まっていると思うのだが。

故郷の関ヶ原で真っ先に赤紙を受け取ったのは僕の父だった。満州に行く父を見送るため、驚くほど多くの町民や駅の傍にあった日紡の女工さん達がズラリと並び、列車のデッキで手を振っている父が写った写真がある。全町民が駅へと押し寄せているかのように思える情景が写された画像は、いまだにはっきりと脳裏に焼き付いている。その時代として、当時の父にとって晴れの舞台であったに違いない。しかし、二度目の召集では夜半にコッソリと赤紙を持った人が来たとか。三度目も同様だったと聞いている。20代の青春の大半を三度の召集で戦地で過ごし、戦場で負傷もしている。それでも終戦前に生きて帰ることが出来たのは、まことにラッキーとしか言いようがない。戦後生まれの僕がこの世に存在しているのは、父が無事に帰って来ることができたからで、幸せなことである。

このように考えると、悲しくも戦争で亡くなった人達の分も背負って生まれ、生きているのが僕らの世代と言うことになる。だからこそ、自分に、一人の人間として正直に生きねばと思う。日本人は、はっきりともの言う民族ではないようだが、今こそそのような物言いは返上し、はっきり「戦争は、絶対、駄目!」と言い、行動しなければ、僕らの子供や、その次の世代からの未来は明るくならない。

現在の政治家や官僚達は戦争体験がない人が多くなり、悲惨な戦争を本当に悲惨とは思っていない人がいるようで情けない。戦争体験者こそ戦争には「ノー」と言い、体験していない人が憲法改正を叫んでいる。実におかしなことである。やはり、このような人達には、本人や家族を海外の戦地の最前線に赴いてもらい、目の当たりに体験するしか自覚する方法はないのかも知れない。しかし、他人を行かせても、自分たちは絶対行かないだろうと、確信する。

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