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 No.239

三輪 薫(みわ かおる)


No.239 『生きる』/文明の利器-2 2004/9/19

現代っ子はデジタルでの覚えが早い。我が家に初めてデスクトップの大きなワープロが入った時など、今は社会人となっている子供達はまだ小学校の低学年だったが、キーボードを叩いているうちに覚えてしまい、手紙などくれて驚いたものだ。無垢な子供はデジタルへの抵抗感などなく、未知への関心が高く、学習能力も旺盛なのだろう。

現在の生活の中では仕事だけではなく、一般家庭の中にもどっぷりとパソコンが入り込んで日々の生活が便利になっている。使えなかったらどのような暮らしになっているのかと思うと、複雑な思いで一杯である。しかし、デジタルに精通していなくても悲観することはなく、逆に自負心を持ってもよいとさえ思う。アナログ写真を断ち切る思いなど全くなく、肉筆への願望も残っている僕には、何処かでデジタル世界に対して距離を置いて眺めている節がある。デジタルへの魅力と願望、抵抗感の狭間の中で考えることも多い。

日本の伝統工芸に携わっている人達は、先人から受け継いだ職人芸により一層の磨きを掛けながらも新たな創作を探っていると思う。銀塩カメラの製造をうち切ったカメラメーカーもある一方で、ニコンのように新たに進化した銀塩カメラを発売するメーカーもある。しかし、あまり話題にもなっていないようで寂しい限りだ。古の時代から受け継がれてきた素晴らしいものを肯定しながら、時代の進化によって生まれた新しい分野を受け入れ、新たな可能性を追求することも必要だ。昨年から今年に掛けて開催した和紙にインクジェットプリンタで出力した作品による個展は、銀塩世界で長年模索してきても成し得なかった表現がデジタル時代によって実現したものだった。

拒否反応だけでは、自分の可能性を否定することになる。小さな子供が何にでも興味と疑問を抱くように、頭の固くなった大人もより柔軟な考え方を持たねばならない時代を迎えている。デジタル時代の到来を謳歌している自分と、何処かで醒めて観ている自分とを、如何に使い分けるかも課題となっている。

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