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 No.240

三輪 薫(みわ かおる)


No.240 『写す』/修破離 2004/9/26

クラブ例会の後、メンバーの皆さんと飲んでいたときに「修破離(しゅわり)」と言う初耳の言葉があった。習い事の基本的な姿勢に通じる言葉だ。

習い事には師匠がいて、当然ながら師匠の作風や方向性に似てしまう。自分独自のスタイルを創るには、それらを破らねばならない。そのためには師匠の呪縛から離れる必要がある、と言うことだろう。

自分自身に当てはめても納得できる言葉だ。現状に甘んじていては、進歩がない。自分自ら研鑽を積んで築き上げた世界でも、敢えて破り、脱却しない限りは新しい自分への未来はない。それと同じと感じている。

そのためには自分自身の美学を発揮した他人とは違う新たな表現世界を確立したり、問題意識を持たなければ無理というものである。僕の場合は最終的な作品をプリントと考えているので、個展開催を重要視している。回を重ねるごとに難しくなるが、それまでの自分を確認するには適したものと考えている。だからこそ、アナログ人間を自負している僕であるが、新たな表現であるデジタル世界にも挑戦し、何でもありの精神で向かっている。既成概念に縛られることこそ、つまらないと思っているからだ。

先日開催していた「Rock」展は、展示する作品の全てが海外で撮影したものとしては、初めての個展である。海外には自然風景を撮るために行くことが多いが、繊細な表情を見せる日本の自然風景的な風土の国よりも、地球の創世記を感じるようなダイナミックな姿に溢れた国に惹かれる。同じような環境にいると、凡人には感覚が麻痺して、新鮮な感動が少なくなってくる。それらを防御するために海外へと出掛けているのかも知れない。しかし、自然の表情が変わっても、撮影した作品には紛れもない自分の世界が写っているような気がするから不思議である。帰国してまた日本を新たな気持ちで見る。これも「修破離」。

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