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 No.250

三輪 薫(みわ かおる)


No.250 『生きる』/柳緑花紅 2004/12/31

「柳緑花紅(やなぎはみどり、はなはくれない)」と言う言葉は、柳の葉は緑で、花は赤い(花と言えば赤い色の花を思い浮かべるからだろうか)のが自然であり、人も自然体で生きるのがよいということを示す言葉なのだという。しかし、生き様も、日々生活するのも、自然体で臨むのは意外や難しい。ついつい人の目を気にして、素直な柳緑花紅(やなぎはみどり、はなはくれない)」と言う言葉は、柳の葉は緑で、花は赤い(花と言えば、生き方を貫けないからだろう。

自然風景の撮影にも言える。自然を自然らしく写すのは実に難しい。特に鮮やかな色調再現とハイコントラストなグラデーションが特徴のリバーサルフィルムに慣れてしまうと、見たままの自然な色合いでは何となくもの頼りなく感じてくる。つまり、刺激的な作画に知らず知らずの内に慣れ親しんでしまうことになるからだ。

カメラ誌などの口絵や月例作品などを見ても、大半が最も鮮やかでハイコントラストな再現性のフィルムで撮られている。このフィルムは、被写体の色が落ちすぎていたり、光りが弱すぎて被写体の色を引き出すのが難しいような条件では威力を発揮し、見たままの自然観で再現してくれる。しかし、そのような使われ方をした作品は少なく、多くが色や光のコントラストを高めた描写である。

しかし、表現すると言うことは複写ではなく、その人の心に受けた感動や印象をフィルムに定着させるのだから、色や光りのコントラストを上げても間違いではない。ただ、10人いれば10人の個性があり、好みや感動の仕方も人様様であるはずだ。そのような違いが作品へ反映されるとすると、愛用・常用するフィルムも実に様々になるはずだと思う。しかし、現実には多くの銘柄が市販されているにもかかわらず、ほぼ同一の銘柄が大半を占めている。これが自然体で臨んだ結果なら多くの人の個性や好みが似ていることになり、何とも不思議と感じる訳だ。

生き方も撮影も自然体で臨めば気楽である。自分らしさを求めるのは難しいが、写真が「心を写す」世界であると考えているので、来年も素直な自分を引き出せるような作風に磨きを掛けて行きたいと思っている。

今年も後僅か。来年には、どのような未来が待っているのだろうか。

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