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 No.253

三輪 薫(みわ かおる)


No.253 『写す』/銀塩写真とデジタル写真の行く末-2 2005/1/17

進化の凄まじいデジタル写真であるが、今年や来年には銀塩を越えてしまうのだろうか。銀塩のフィルムや印画紙の感材がどれほど残ってくれるのだろうか。

この様なことを考えていると、2005年の写真界、いや、僕自身の2005年は決して嬉しいことばかりではなさそうである。ファインプリント展は、1994年に開催した第一回目以降4年ごとに開催し続け、来年には4回目になる予定だ。しかし、その間に本格的なデジタル時代を迎え、デジタル写真が銀塩写真を追い抜く前に早々と生産中止に追い込まれた感材の銘柄も増えている。暫く遠ざかっていた黒白の大判カメラでの撮影もまた再開したいと思っているが、心ゆくままに作品創りを支えてくれる感材の供給が十分かどうかの保証もなく、実に心配である。

デジタル時代の到来は新たな表現の可能性を生むもので、歓迎すべきことである。しかし、銀塩写真を簡単に捨て去ってよいというものではないはずだ。共に作画目的で使い分けてこそ意義があるだろう。銀塩写真とデジタル写真とは同じものではなく、別物と考えている。

ラムダによるプリントは銀塩のネガペーパーを使う。つまり、デジタルと銀塩を融合させたプリント方法である。プロラボと言えども、印画紙への露光時間には引き伸ばすサイズによって制限され、いくら高いレベルの技術を持ったラボマンでも限界がある。しかし、入り口をデジタルで行うラムダプリントは、トーンやグラデーションなど、かなり細かな調整ができる。時間と費用を際限なく注ぎ込めば、銀塩の手焼きプリントを遙かに越えてしまうだろう。しかし、この方法も適用されるネガタイプのペーパーの銘柄が少なくなる一方で、希望が持てる訳ではないのが残念である。

その点、進化を続けるインクジェットプリンタでの出力は期待できる。先日キヤノンサロンで見た今年のカレンダー作品13点が短辺1,200mmくらいの大型プリントで、会場狭しと展示されていた。このサイズを然るべき位置で眺めると、もうほとんど銀塩プリントと差がないように感じた。ただ、出力時に起きると思われるムラがシャドウ部に出ていて気になった。原因は何か分からないが、いずれ解決されるだろう。

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