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 No.261

三輪 薫(みわ かおる)


No.261 『写す』/コンタックスの行く末 2005/5/2

遂に京セラ(株)が手掛けるコンタックスの生産が打ちきられた。3月にはデジタルカメラの生産からの撤退を宣言し、4月には銀塩カメラの生産打ち切り宣言である。悲しく残念なことおびただしい。

先月、写真工業から生産が打ちきられたコンタックス【特集】の原稿を依頼された。5人ほど登場する誌面への原稿依頼であるから光栄なことではあるが、書き始めても複雑な思いに包まれている。

カメラは文化であると思っている。消えても惜しくはないカメラもあるかも知れないが、コンタックスは違う。世界有数の優れたツァイスレンズを使い、扱い安さでも天下一品のカメラである。僕はフリーになった頃から愛用し始め、付き合いも長い。現在の僕の作風を創ってくれたのがコンタックスとツァイスレンズである。大型カメラのボディーは箱であるが、多様なスペックを満載した小型カメラは撮影にも便利で、多くの写真愛好家を生み出した。AE/AF化が進むに連れ、ボディーも複雑になる一方だが、コンタックスは写すために必要で便利なスペックを満載しながらも、シンプルな機構を貫いてきたことも評価したい。基本的には、小型カメラとは言えレンズとフィルムを繋ぐ箱には違いないからである。

会社側が生産中止を宣言したお陰で、ユーザーと対面する人達は矢面に立たせられ、苦しい立場に追いやられている。これらの人達を恨む気持ちはなく、同情してしまう。大変なことになってしまったが、長年現場でフォローしてくれた人達に感謝している。

取り敢えずは、コンタックスのアフターサービスは最長と言うことだが10年間継続し、鳩居堂ビルから有楽町駅前の東京交通会館7Fに移転した京セラ・コンタックスサロン東京やコンタックスクラブも当面運営を継続と言うことで、現場の人達の努力を評価しなければならないだろう。

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