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 No.263

三輪 薫(みわ かおる)


No.263 『写す』/写真家と呼べる世代 2005/5/30

僕は観ることが出来なかった先日テレビで、浅井慎平さんが「写真家と呼べるのは、僕らの世代までかも、、」と言っていたと聞いた。デジタルカメラ全盛になってきて、自分たちこそ、僕らの世代までが体験しているメカニカル式のAE/AF化もされていないカメラを使わざるを得なかったことで、撮る上でのテクニックや勘を養い、それらの基づいた思考などを必然とした世代だと言いたかったのだろう。

デジタルカメラは撮影直後に撮影結果をカメラに付属の液晶画面で確認でき、露出などのの失敗があれば撮り直せばよい。だから、緊張感が以前の銀塩カメラに比べて乏しくなるのは当然である。しかし、浅井さん自身も、キヤノンA1と安価なタイプのレンズを組み合わせて、浅井流の作品を量産していた時代もあったと記憶している。全てを勘で撮影しなければならなかった時の作品とは、明らかに違う浅井さんらしさを示すことができた作品だったような気がする。

時代が変われば、写真という概念も変わってきて当然である。職人芸的な要素を踏まえなければ成り立たなかった時代も、それなりに意味がある。僕は、ある部分で浅井さんの意見に同調する。しかし、これが全てではない。気軽に撮ることが出来るからこそ生まれてくる作品もあるような気がする。もっと以前を振り返れば、35ミリ版のカメラの登場したことが同じことを言えるだろう。撮影には今からでは想像できないほどに煩わしい手間が掛かった時代もあり、35ミリ版カメラの登場で天と地の開きがあるくらい作品創りへの姿勢や、結果が違ってきたと思う。

今や、写真の専門教育機関に入学する学生さん達には、銀塩のフィルムで撮影した経験がない人もいるという時代である。世の中は変わりつつある。それを否定は出来ないし、僕も同感に思う「銀塩写真が写真の基本」だと言っても、もはやこれらの人達には、時代遅れの戯言と聞こえるのかも知れない。悲しいかな、時代は変わってしまったのだ。しかし、銀塩写真を心ゆくまで楽しむことが出来た世代は、心底幸せだったと思っているのも事実である。

現在、芸大の教授を務めているという浅井さんは、写真家を志す若い人達に、何を思い、何を伝えているのだろうか。

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