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 No.266

三輪 薫(みわ かおる)


No.266 『写す』/ありがとう、コンタックス 2005/6/23

写真家としてフリーで活動を開始する前に、当時はプロ写真家への登竜門とさえ言われていた銀座ニコンサロンで1976年に個展を開催できた。コンタックスとの付き合いは、本格的に作家活動を始めたフリーになってからだが、詳しくは写真工業7月号の特集「さよならコンタックス」に掲載されている。

カメラ好きの僕は、小型カメラから8×10インチ判カメラまで、様々なボディーやレンズを求め続けてきた。黒白プリントの引伸機やレンズも同様である。作品創りのためには、その作画と目的によって最適な機材があると信じているからである。どのような安価な機材でも、それなりに写ってくれるが、最も大切なのが写し手側の心が託せる機材かどうかだと思っている。

コンタックスは、旧ヤシカと提携して1975年にレンズ交換式一眼レフRTSとして復活を遂げた。しかも、ポルシェデザインの美しく手に馴染む気品が漂う姿で。しかし、この頃の僕は勤め人で給料も安く、高額で高嶺の花だった。また、同業者から聞こえてくる故障の多さも気になって、僕の記憶からは消えていた。

フリーになった頃、より安定した新型のRTS IIが発売になったと聞き、試写を重ねて購入。以後、N1まで様々な機種やレンズを揃えることになる。コンタックスの2機種目は世界で初めて段階露出機構が内蔵された167MT。3機種目は待望の高級機 RTS III。4機種目はチタンボディー/メカニカルの S2。そして ST、RX。次は世界初のAFレンジファインダー式の G1。その間にコンパクトのTvs。コマーシャルフォトも撮っていたのでポラロイドカメラ Preview II も購入。G1の改良型 G2 に続き、コンタックス初めての中判 CONTAX 645、N1、TVSデジタルと機材も増えていった。

コンタックスと出会い、のめり込んでいった理由には、ボディーやレンズへの魅力だけではなく、RTSII の購入当時プロ担当だった後の京セラ・コンタックスサロン銀座の館長である町田光氏の様々な後ろ盾がある。コンタックスカメラでの初めての個展「風光」もお膳立てしていただいた。1987年にはドイツのオーバーコッヘンに、ツァイスレンズ読本「Hert And Mind」の制作のため、指名してくれて一緒に行った。巻頭の写真はカラーとの依頼だったが、現場で黒白のほうがよいと判断し、メインを黒白で撮った。帰国後、作品を見せると即座に黒白に決定。1993年には再び「Only Zeiss」刊行のために行ったが、残念ながら町田氏との同行はかなわなかった。この本には、これでもかと言うほどに僕の作品が数多く掲載されている。この時に早朝から深夜まで、連日撮影のフォローをしてくれた光村印刷の方とは、いまだに嬉しいお付き合いが続いている。

コンタックスサロンでの個展は、鳩居堂ビルで10回、東京交通会館で1回開催した。個展開催の半分はコンタックスサロンで、名実共に僕の作家活動を支えて頂いたと感謝している。先日メル友の方から、コンタックス関係の中古が一時期より値上がりしていると連絡があった。当然だろう。よいものは評価される。しかし、製造の打ち切りが公になってからなのが残念である。

いずれにせよ、僕にとってコンタックスはよき伴侶であり、作品創りを支えてくれる頼もしい存在なのだ。コンタックスの歴史には紆余曲折があり、何時の日か、また新たな姿で登場してくれることを願っている。ありがとう、コンタックス。感謝!

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