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 No.267

三輪 薫(みわ かおる)


No.267 『写す』/デジタルフォトのオリジナルとは 2005/7/1

最近になって、雑誌などへの作品の入稿は、デジタルは当然のことアナログのフィルムでもスキャナーでデジタルデータ化してCD-Rで入稿することが多くなっている。メールでも大容量の画像の送信が可能となっているとも聞く。しかし、何となく心配で、メールで送るのはレイアウト用の圧縮したjpg画像のみか、かなり圧縮していても掲載可能なサイズの作品に限っている。

心配というのは、目で見えないので途中で何かあったら心配であるからだ。そそっかしい僕は、似た名前の他の人宛にメールを送ってしまったことも度々ある。相手だけに確かに届き、他にはもれないのだろうか。杞憂かも知れないが、大切な作品が、何処かに行ってしまったり、途中下車や寄り道をして、あちこちと分散してしまう危険性も感じる。

しかしながら、フィルムをCD-Rにしての入稿の場合には、送付の途中や製版でのトラブルでオリジナルが痛む心配がなく安心である。リバーサルフィルムの場合には、オリジナルは1点しかなく、複製を作っても、オリジナルとうり二つというのではなく、必ずクオリティーは低くなってしまう。一方のデジタルフォトでは、その気ならガードをしていない限り、実に簡単にコピー出来てしまうので、ちょっとどころか、大変に気がかりである。

最近では、入稿先から作品のCD-Rが戻ってくることが少なくなっているような気がする。僕にとってはオリジナルの原稿なのだが、CD-Rが安価になったせいか、作品ではなく、安価なCD-Rと思われているように感じてならない。デジタル時代になって、入稿した作品が何だか軽んじられてきたような気がするのだ。以前は、文字原稿だけのフロッピーですら、必ずと言ってよいほどに返却されてきた。最後には送料のほうが高くなり、廃棄処分にしていただいても結構とお願いしたこともある。

デジタル時代になり、何だかオリジナル作品の価値観が軽くなってしまったような気がする。地下鉄の車両ではないが、考え込み、悩むと、眠れなくなってしまうのだ。

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