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 No.273

三輪 薫(みわ かおる)


No.273 『生きる』/美意識と美学 2005/8/21

自然風景を撮っていると、晩秋の色が落ちた紅葉や冬枯れの木々や虫食いの葉に美しさを感じることが多い。しかし、このような姿や表情を汚いと思う人もいるようだ。美に対する感じ方や考えは多種多様であってよいと思う。

僕等の子供がまだ幼い頃、「見て見て、夕焼けが美しいよ!」と呼びに来たことがあった。しかし、自然風景を撮り歩いていた僕には、それ程までに感動するような夕焼けではなかった。つまり、過去の記憶が邪魔をして、知らず知らずの内に、その時々の新鮮な感動を受け入れないようになってしまっていたのかも知れない。子供はその都度の出合いに、新鮮な感動を素直に表していたのだろう。

僕もよく使う言葉だが、美意識とは、美学とは、一体なんだろう。改めて考え、確認しようとすると、はっきり言って分からなくなる。食べ物の味と同じかも知れない。人によって味の感じ方の違いや、好き嫌いがあり、一概には決められないからだ。「美」ほど曖昧な言葉はないかも知れない。

僕は、満開の桜よりも三分や五分咲きの姿に、散り始めた桜の表情にこそ心を打つ美しさを感じる。だから満開の桜を追いかけるようなことには興味がない。紅葉も然り。最も魅力を感じて惹かれる姿が晩秋の侘寂を感じる時だ。だから、最盛期の紅葉を、晴れた日に鮮やかタイプのリバーサルフィルムで撮ることは珍しく、ましてや、このような条件でPLフィルターを掛けて撮ることは滅多にない。

巷の多くのカメラマン達が、こぞって鮮やかな紅葉を、より鮮やかに写し取ろうとしている姿勢とは違った観点で作品創りに向かっている。これも個性であり、大勢の方向とは違っていても気にならない。三輪薫は、何処まで行っても三輪薫なのだから。

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