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 No.289

三輪 薫(みわ かおる)


No.289 『生きる』/同窓会 2006/2/3

年末に高校の同窓会の通知が届いた。卒業したのは郷里関ヶ原から近い岐阜県立大垣北高等学校である。9クラスあった同級生は450人ほどいたが、何と関東地方には64名もいるという。この学校は元は女学校で、戦後に共学の高校になった。僕は18回生である。愛好家の方にも女学校時代の先輩がいて、個展会場に貼っていた略歴を見て声を掛けてくれたことがあったり、「わの会」会員にも同窓生が何人もいるのを知った。

東京には、この女学校時代から北校までの卒業生の組織があり、毎年集まりがあって通知を戴く。しかし、僕の高校時代にはよい思い出が余りなく、積極的に出席したいと思ったことはないし、出掛けたこともなく過ぎている。

そのようなことからも、今回の同窓会はどうしたものやらと思案していた。と言うのも、高校進学時には機械いじりが好きだったので工業高校へと思っていたが、何故か大学進学校に受験票を出してしまった。心底しまったと思ったのは受験日の会場で答案用紙に向かって奮闘しているときだった。この時の自分を情けなく感じていたのをいまだに覚えている。この気持ちを抑えられず、最後の答案用紙を白紙で出そうとしていた。しかし、気が小さな僕にはできず、一応進学することになった。

だからか、新学期を迎えても一向に勉学に励む気にならず、授業は苦痛で上の空だった。また、高校進学時に身体を壊し、1年間体育の実技を傍で眺めるだけの状態にもなっていた。自慢できることではないが、二期制だったこの高校で、一期の終わりには入学時の学年の序列を9クラスあったクラス内でも及ばないほど成績を下げた。このような変わり者は多分僕くらいしかいないと思っている。それほど勉強を拒否していた。このような状態では、望みを高く持つ自分に可能性のある大学が見つからず、大学進学を断念した。かくして、以前から興味を持っていた家業の塗師を継ぐことになる。

この塗師修行も4年で終止符を打ち、写真界へ華麗な?転身を図り、今日に至っている。もし、高校時代に悩むことなく真面目に勉学に励んでいたら、写真家としての今の自分があるかどうかは分からない。人生、実に面白いものだと思っている。一時期ズッコケたからと言って、捨てたものでもないような気がする。変なところで真面目でナマクラだったことが幸いしたのかも知れない。

同窓会は行ってもよいかなと思っていたのだが、年頭からの風邪をこじらせ断念した。

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