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 No.294

三輪 薫(みわ かおる)


No.294 『生きる』/アナログとデジタル 2006/3/27

僕は典型的なアナログ人間である。しかし、写真界もデジタル時代に突入し、身もわきまえずデジタルにも関わっているので、四苦八苦の生活が続いている。実家の家業の塗師は昔から受け継がれた伝統工芸のアナログ世界で、道具といっても大半が昔ながらの手作りのものだ。デジタル機器は、確かに便利なものだが、だからといってアナログの世界で作り上げたものよりも全てが優れているとは限らない。

車などは、昔ならプロのドライバーしかできなかった難しい運転テクニックを、デジタル機器がフォローしてくれ、随分安全に走ることができるようになっている。僕の VW T-4 には、そのようなものは一切装備されていなく、時には職人芸的な運転テクニックを必要とすることもあるだろう。しかし、そのようなテクニックには無縁な僕は、ひらすらのんびりと走り、安全運転を心がけるしか選択の道はない。

車は運転を間違えば事故に繋がり、人命をも脅かす。だから、運転を手助けしてくれるデジタル機器は有り難く、嬉しい装備である。カメラなどは命に関わるわけではなく、量産する写真にはとても嬉しい機能満載の道具と言える。しかし、自己表現の道具として考えると、暗箱のような大型カメラの、アナログカメラの権化のような機能しかないカメラと、現在のデジタルカメラで撮った写真を比べると、果たして今のカメラのほうが本当によい作品が生まれているかどうかは疑問である。

巷のギャラリーで開催されているデジタルでの写真展などを見ると、何故か底が浅く、軽く感じることが、以前より多くなっていると思うのは僕だけだろうか。先月銀座ニコンサロンで見た8×10インチ判カメラで撮ったモノクロの銀塩バライタ印画紙にプリントされた個展は見応えがあった。一枚の作品を創り上げるために費やす時間やテクニックが、デジタルとは思考するプロセスも違う世界だからだろうと思っている。随分前になるが、アサヒカメラの競作の口絵で、僕が依頼されたのはモノクロの8×10インチ判の作品だったが、評論家の方が高く評価してくれたことがあった。やはり、アナログの原点とも言える取り組み方をしなければ撮れない世界だったからだと思っている。これは生き様にも通じることで、職人芸的なものを持ち合わせていないと創ることができない分野や世界もある。

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