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 No.304

三輪 薫(みわ かおる)


No.304 『写す』/フォトコンテスト 2006/7/30

カメラ誌などの月例やフォトコンテストには、自分の作風や表現レベルを確認できるよさがある。特にプロなどのアドバスを受けることができない地域の愛好家には、この月例こそが頼りになるものであるかも知れないからだ。

僕がまだ実家の関ヶ原にいた20歳前後の時には、カメラ誌の月例作品を眺め、選者のコメントを参考に絵画の模写的に写真を撮ったりして自分なりに研究していた。その研究結果を確かめたいと応募したこともある。カメラ誌には、さすがレベルが追いつかなく、予選通過すら実現しなかった。当時、愛用していたのがキヤノンだったので、キヤノンクラブに入会し、キヤノンサークル誌への応募を始めた。

勿論黒白の部へだが、当時の選者が尊敬していた八木原茂樹氏だったので、どのような評価が得られるかを楽しみに数年挑戦し続けた。最初は当然ながら予選通過の名前も掲載されなかった。いつの日か、「三輪 薫(岐阜県)」と名前だけが掲載された。しかし、同姓同名もあるだろうから確信はかった。その内、記念切手程度のサイズだが、写真が掲載された。印刷になるのはとても嬉しく、手元に置いてことあるごとに眺めていたのが懐かしい。小さな写真でも、プロになって初めてカメラ誌の口絵に掲載されたときとは違った喜びがあった。だから、自分が選者になって審査と講評をする場合には、この時の自分の想いを重ねながら行っている。

しかし、自然に対するカメラマンのマナーの悪さは、ひょっとしたらフォトコンテストなども原因になっているのかも知れないと思うこともある。フォトコンテストの賞金稼ぎにも関係があるのかも知れないからだ。以前、長年フォトコンテストや月例への応募を続けている何人かの愛好家の方に、その人のセンスや作家としての将来を思い、フォトコンテストへの応募を止め、自分自身のための作品作りに専念してはと進言したことがある。アドバイス程度であったのだが、僕の意向通りに止めた人の家族からは、「フィルム代になる賞金が入らなくなり困ります」と言われたこともある。強制したわけではなかったので、返答に困った。

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