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 No.305

三輪 薫(みわ かおる)


No.305 『生きる』/リサイタル 2006/8/10

「わの会」の世話人の方に「藤原章雄テノール リサイタル」に誘われて出掛けた。このような生の音楽を聴くのは実に久しぶりのことだった。以前には、ある交響楽団の年間指定席を確保して、ホールに通っていたこともある。やはり、どのような世界でも生の演奏や作品を見るのが一番である。

今回驚いたのは、70歳に近いというのに、その声量たるや東京文化会館の小ホールといえども、会場の空気を震えさせるような凄さだった。普段鍛えているプロの方は違うのだろう。年齢を感じさせない若々しい風貌を見せ、豊かな声量をかもし出すだけではなく、聴く者の心までも震える心地よい感動を与えてくれるコンサートで、至福の時を過ごす喜びに浸っていた。

実は、この方の歌い上げる声を隣に立って聴いたことがある。先の世話人の方が銀座で開催した個展を地元でも開催し、オープニングパーティーで作者の友人である藤原章雄さんが来て、お祝いに歌ってくれた。この時の会場は東京文化会館の小ホールとは比べようがないほどのレストラン。空気どころか、天井や床が、建物全体が振動しているような気がした。当然隣にいた僕は身体全体が声量の余波に襲われ、地震を体感しているように身体の随まで凄い声量が到達していた。オペラ歌手とは凄いものである。人の身体からどうしてあれだけの声量が出せるのかとたまげるほどである。マイクなしでは歌えない、聴衆に聞こえない声量の歌手も多いと思うが、えらい違いである。

今回のテーマは「イタリア・スペイン・シチリア・ナポリを歌う」だったが、当然とは思うが全曲日本語に訳された歌詞ではなかった。僕には理解できない原語で歌われるメロディーにも心地よさを感じて聴いていたが、オリジナルの歌詞と日本語に訳詞された歌で聴くのとはかなり感銘も違ってくると思う。勿論、それぞれの歌の内容を理解できる人には余計なことかも知れないが、意味が分からない歌を聴く者にとってはメロディーなどでしか楽しめない。その点がまことに残念である。ニューミュージックのように聴衆の興奮した声などにかき消されまいと音響設備によって大音響を会場に流すコンサートとは違い、今回のようなコンサートには、一部でもよいので訳詞した日本語で歌ってほしいものだ。外国語が理解できないものには、理解できる歌詞によってしみじみとした味わいがもっと沸き上がってくるかも知れないと思うからだ。

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