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 No.306

三輪 薫(みわ かおる)


No.306 『写す』/模写と贋作 2006/8/20

以前、テレビで日本人画家がイタリアの画家の作品を真似て描いたものが賞を受け、そのことが問題となって取り消されたという話題に盛り上がっていた。絵画には模写があり、画家を志す人は尊敬する画家の作品を模写することによって、作風や筆のタッチなどを研究することも多いだろう。

写真には、模写的な撮り方もあるだろうが、同じ被写体を同じように撮ったからと言って今回の事件のような大きな問題が起こるわけではない。特に、自然風景などでは、どう見ても同じような作品に感じるものも多く発表されている。撮影会などで大勢で撮ると似たような作品ができるが、だからといって模倣や贋作と判断されるわけではない。

写真は現実の被写体を前にして撮ることが大半なので、同じように見えても微妙に違って写るから問題にはならないのかも知れない。しかし、絵画の場合には本人が生の目で見つめて描いた作品以外は評価されないとの印象を持つが、贋作と優れた模写的な作風で描いた作品とは、解釈に雲泥の差があるような気がしてならない。先の日本人の画家の場合では、元になったイタリア人の画家の作品よりも素敵な作品に感じる。

デジタルカメラ全盛になり、巷の中古ショップでのフィルムカメラの価格が結構下がっているようだ。いまや、お買い得とも言える。しかし、銘柄によっては逆に値上がりしている機種もあるそうだ。よい製品は見直され、新たな製品が開発されない限り、値上がりするのは市場原理だろう

贋作の場合、模写をオリジナルと偽って売るから問題になる。堂々と、贋作ではなく自分の作風を反映した作品であると言って発表すれば評価も変わるだろうし、本人も後ろめたさを感じる必要もないだろう。模写の作品よりもクオリティーが高く、元の絵の描写を越えたその画家の作風やタッチが発揮された作品なら、それなりの評価もあってもよいと思う。海外の超有名な何人もの画家達も模写をしていて、現在あちこちに保存されているそうだが、模写でもその価値を認めているとのことだ。

絵柄が似ていても、色合いや筆のタッチの違いによってその作者のオリジナリティーを出していれば新たな作品と解釈できるかも知れない。今回の事件は、作者が曖昧な答弁を繰り返すから勘違いも生まれ、自信作なら堂々とした振る舞いをすればよかったと思う。新たな表現分野としての世界が生まれ、確立への第一歩になっていたかも知れないので残念である。

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