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 No.312

三輪 薫(みわ かおる)


No.312 『写す』/写真家への登竜門 2006/10/25

関ヶ原の実家で塗師の修業をしていた頃、趣味として写真を撮っていた。地元のミヤケカメラ店のオーナーにいただいた引き伸ばし機でモノクロの自家処理もしていた。このオーナーに誘われてユニチカのクラブにも参加していたが、自分のレベルを知りたくてカメラ誌に応募したこともある。当然ながら予選通過もしなかった。愛用のカメラがキヤノンFPだったこともあってキヤノンクラブに入会し、時々買っていたカメラ誌の月例の選評やキヤノンサークルのマンスリーの選評を熟読していた。

一般的には大型プリントには拡大率的に有利な大判カメラを、小さなプリントには小型カメラという考え方が多いようだ。しかし、コダックの考え方では中判カメラでさえ全紙では大きすぎる。だったら、思い切って拡大率を大きくすることによってフィルムの粒子の中に隠れたトーンを出すのも面白い表現になるのではないかとの思いがあり、カラープリントでの個展が大型プリントによるものが増えてきた。小さなプリントで再現されていないトーンを近くで眺めるのと、粒子の中に隠れたトーンまでを引き出した大型プリントを離れて眺めるのとは雲泥の差があると考えたからだ。フィルムサイズが大きくなるほど拡大率を少なめにするのもプリント方法の一つと考えている。

数年後にはキヤノンサークルへの応募も毎月ではなかったが続け、そのうちに少しずつ大きな画面で印刷されるようになってきた。4年続けた塗師の修業を止めて名古屋の写真学校で学ぶようになり、モデル撮影の実習などでは課題を写す前に応募用の作品を念頭に置いて撮っていた。しかし、誌面に登場することを目的に撮っていたためか二席に入ったことはあっても、トップはどうしても獲得できなかった。この応募も二年に進級した頃には止めてしまった。フォトコンテストへの作品作りよりもテーマ性に的を絞った撮影に専念し始めたからである。

その頃でもテーマは幾つもあって、1本のフィルムに何テーマも写っていたこともある。現在のようにモノクロと言えども気軽にはフィルムを買えなかったからで、長巻きの35ミリ判でもかなり慎重に撮っていた。KODAKのトライXなど、アルバイト料の2時間分でも1本を買えなかった時代である。

写真学校時代から取り組んでいたモノクロの心象風景「道道」は、5年後に銀座のニコンサロンでの個展につながった。当時のこのギャラリーは写真家への登竜門と言われていて、この会場で個展を開催するのが夢だった。上京してからは東京を撮り始め、15年以上撮りためた中から「都市の気配-東京夢幻-」のモノクロの個展を開催した。その間にもルポ的なものや、カラーでの花作品や造形などの個展を開催した。フリーになって直ぐに撮りだした自然風景の個展も、数年後に当時ヤシカの全面支援で開催できた。僕の写真の原点はモノクロだが、4年ごとに開催してきたファインプリント展も今年の9月で4回目になった。フリーになって25年余りだが、個展としては通算23回目である。いつの間にか随分重ねてきたものだ。

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