Toppageへ
 No.315

三輪 薫(みわ かおる)


No.315 『写す』/オリジナルプリントへの拘り-2 2006/11/18

15年ほど前、モノクロのファインプリントの制作に専念するため、それまでの自宅の暗室では手狭で、リフォームするにも限界があり、思い切って改築した。そこに納める引き伸ばし機も英国からデベアの8×10インチ判用を取り寄せ、世界最高峰と言われるライツの中判用と35ミリ判用フォコマートも入手した。それでも飽きたらず、その時には既に持っていたダーストの35ミリ判用に加え、中判用も手に入れた。引き伸ばし機用のレンズも、当然ながら世界最高峰のローデンシュトックのレンズを35ミリから8×10インチ判用まで4本揃え、定評のあるニッコールなどを加えると10本を超えてしまった。

1994年から開催を始めたファインプリント展も今年9月の開催で4回目となったが、今や写真界もデジタル時代である。このように早くデジタル時代になるとは思ってもみず、予想以上の勢いで進化していることへの戸惑いを隠せない。数十年前には銀塩世界もカラー全盛の時代になり、モノクロの自家処理を止めてしまったプロも多くいる。今時銀塩のモノクロ自家処理に拘っているほうが珍しく、不思議なことかも知れない。

モノクロ写真とはいえ、ストレートにプリントできるコマは少なく、どこかに手を入れなければ満足できる仕上がりにならないことが大半だ。その点では、印画紙への露光時間が限られる銀塩よりも、パソコンを前にして無限に時間を費やせるデジタルのほうがトーンやコントラストの調整には遙かに有利である。プリント用紙も年々新たな銘柄が発売になり、銀塩のバライタ印画紙に比べても遜色のないタイプも現れたようだ。退色性に関しても、適正に処理した銀塩のバライタ印画紙よりもアーカイバルな和紙に顔料インクでプリントするほうが優れているという話も聞いたことがある。

トーン再現や用紙から受ける画質などの印象が銀塩バライタ印画紙と同等なら、もはや銀塩に拘る必要がないともいえる。デジタルなら、実際に出力する画面よりも拡大して、細い枝の1本1本、小さな葉までも調整が可能になる。このようなことは銀塩バライタ印画紙のプリントでは絶対不可能である。だから、当然デジタルの写真のほうがよく見え、感じる部分も大きくなるはずだ。

今回のファインプリント展では銀塩プリントと共に伊勢和紙によるデジタルプリントを20点展示したが、販売できた大半の作品が銀塩プリントだった。作者としては表現にあったメディアでプリントしたのだが、来場された方々にはデジタル作品よりも銀塩のバライタ印画紙から放たれるもののほうに心が動いたのだろうか。理屈通りには心が反応しないことに、改めて驚きを見つけた個展だった。この個展も19日から伊勢和紙ギャラリーで開催しているが、伊勢ではどのような反応が見られるかが楽しみである。

戻る