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 No.317

三輪 薫(みわ かおる)


No.317 『写す』/デジタルフォトの不思議 2006/12/15

隔年に開催している「わの会」展も、4回目を先日無事終えることができた。京セラ コンタックスサロン・東京はメーカーギャラリーとしては広いが、93点も展示しているので、来場者がどのように感じるか興味があった。しかし、この会場としては実に多くの方々が来てくれ、作品内容や展示方法にも評判がよかった。デジタル作品も18点あり、特に画材用紙や伊勢和紙に出力した作品への関心も高かったように思う。

デジタル全盛と言われるようになり、アナログ派を自認する僕にもカメラ誌から依頼される原稿には何故かデジタルフォトのことが半数に及ぶようになってきた。近年開催している個展の多くがデジタルプリントだからかも知れない。しかし、依頼される原稿の内容は作品創りで最も大切な撮影や、何故デジタルでなければならないのかを問いかけるものではなく、大半がデジタル処理に関することである。

デジタルフォトとはいえ、最も重要なのは銀塩と同様に後処理ではなく撮影そのものである。狙いや作画がきちんと出来ていてこそ、後処理も活きる。良いプリント=良い作品と判断できないところに落とし穴がある。デジタル全盛と言われるようになってインクジェットプリンタによる自家処理が増えるにつけ、表現内容に魅力を抱けない作品も何故か増えてきたように感じている。

デジタルフォトは素晴らしく、表現の可能性も高い。デジタルカメラはフィルム内蔵のカメラと考えることができ、銀塩のネガフィルムやリバーサルフィルムの表現世界が再現できる。しかし、デジタルで銀塩での表現を超えた作品創りがどれだけ行われているのかは疑問である。銀塩写真の世界にベルビアが登場して以来、日本人固有の色がないがしろにされ、デジタル時代になって益々加速してきたように感じている。

ベルビアの魅力は、従来のリバーサルフィルムでは見たまま感じたままに色合いなどが引き出せない部分で、最大の威力を発揮できる世界最高峰のフィルムである。しかし、多くの作品が逆の立場で愛用されているような気がする。このような使い方をしている人のデジタルによる後処理は、ベルビアにも飽きたらず、もっと過激な色を求めているような世界を感じてしまうこともある。自由な表現世界を引き出せるデジタルフォトだからこそ原点に戻り、今こそ何が出来るのかを振り返って考えてみるのも良い機会だと思っている。

今回の写真展でもリバーサルフィルムの作品は全てインターネガを作成したネガペーパーで、グラデーション豊かなトーンを引き出した。銀塩のモノクロは全てバタイタ印画紙である。デジタルプリントはインクジェットプリンタにより、写真用紙・画材用紙・和紙と様々なメディアを活用している。しかし、インターネガがすでに製造中止になっており、2年後の「わの会」写真展では銀塩の作品プリントの選択の幅が少なくなっているだろう。銀塩プリントへの拘りを持とうとしても、多くの中から選ぶことが出来なくなってくることを覚悟しなければならない。

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