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 No.318

三輪 薫(みわ かおる)


No.318 『写す』/写真表現のオリジナリティー 2006/12/25

カメラ誌などの撮影データを見ると同じ機材・フィルム・フィルターなどの選択をしている人が多いことに驚く。銀塩写真では、カメラとレンズとリバーサルフィルムの銘柄が同じなら、多様な撮影条件があるにせよ、同じように見える作品になることは避けられない。絵画のように作品を見ただけで作者を判断することは余程の作風の違いがない限り難しい。

画家のように自分独自の色を出そうとしても、多くの人と同じフィルムを使っている限り難しく、今までに様々な銘柄を使い分けてきた。レンズにも多少の違いがあるが、フィルムほどの違いは期待できない。その点、デジタルフォトでは、撮影したままでプリントすると銀塩のリバーサルフィルムに比べるほどの再現の違いは少ないが、後処理によって作者独自の色を引き出すことができる。だから、銀塩に比べ表現の多様性ははるかに大きくなるはずである。このデジタルの特性を自分の作風の構築に活かすためには、メディア(用紙)やプリンタの選択が重要である。この度リバーサルフィルムの最高峰だと信じているコダクロームの国内販売が在庫限りとなってしまった。フィルムも印画紙も次々と少なくなり、限られた選択肢しかない銀塩に比べ、デジタルが何と自由に選択できることか、嬉しくなってしまう。

しかし、現実にはデジタルフォトを銀塩にとって替わるものだと勘違いしている人が多いようである。写真の世界では、銀塩とデジタルは全く別物であることを知るべきだろう。その上で、今こそ、銀塩で、デジタルで、何ができるのかをもう一度考えてみるのも悪くはないはずだ。来年4月にキヤノンギャラリーで20数年ぶりに花の個展を開催するが、今回の作品は撮影からプリントまで全てデジタルで行う。作風の変化だけではなく、銀塩との違いもはっきりと出てくると思っている。

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