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 No.320

三輪 薫(みわ かおる)


No.320 『生きる』/年の初めに思うこと 2007/1/1

今年は僕にとって50代最後の歳になってしまった。過ぎし日を振り返ると実に短く感じてしまう。高校に進むときには、何故か大半が大学進学をする高校を選んでしまったが、卒業後には家業の塗師を継いだ。4年の修行の後、名古屋のデザイン学校に入り、写真を学んだ。卒業と同時に上京し弟子入りしたが、結婚を機にフリーになった。しかし、簡単に食えるわけではなく、母校に当たる東京の学校に勤めた。7年半ほど経って本当のフリーになって、25年近くになる。月日の経つのは早いものである。

写真界もデジタル化によって長年培ってきた職人芸的な技術が、いとも簡単にパソコンで行えるようになった部分も多い。実家の家業・塗師のように機械化もデジタル化も出来ない分野でしか伝統的な技術は生き延びて行くことができないのかも知れない。 名古屋で学んでいた頃から、オリジナルプリントに拘った写真家を目指していた。東京の写真学校の教務課に勤務時代に、学生の頃から撮り続けてきた心象風景で、当時写真家への登竜門と言われていた銀座ニコンサロンで個展を開催できた。7年半ほど勤めた後、フリーになった。今後の身の振り方を考え、どのような作品創りを目指すのかをおぼろげながら定め、作品創りに没頭する道を選んだ。とりあえず興味のある被写体を撮り続け、納得できる次点で個展を開催し続けてきた。東北の山村を撮ったルポルタージュ、野外彫刻の造形、草花、フリーになって撮り始めた自然風景、上京以来15年以上撮り続けていた東京を心象とルポをミックスしたものと、いろいろな被写体にカメラを向け、撮り続けてきた作品を個展で発表してきた。今年の4月に開催する「花逍遙-II」展で24回になる。

僕の創作活動を理解し、支えてくれた京セラ コンタックスサロンでの個展は11回も開催できた。現在の有楽町駅前の東京交通会館に移転したときに開催の「風香」展を加えると12回である。来年3月には「風光」シリーズの5回目を開催する予定だ。写真界にはメーカーギャラリーがあり、美術分野の作家に比べると作品発表の場には恵まれている。ありがたいことだ。しかし、デジタル時代を迎え、これらのメーカーも次々と撤退を続け、ギャラリー運営をもいつまで続けてくれるのか心配になる。

しかし、このデジタル時代が思ったよりも早く到来し、長年考えてきた和紙での耐久性の高い作品創りが出来るようになったのは嬉しいことである。2003年以降、主に伊勢和紙による個展を5回開催したが、「風色-II」展と伊勢和紙ギャラリーのこけら落とし展での新作を除き、フィルムをスキャンしてプリントした。4月に開催する「花逍遙-II」展は撮影からプリントまでをデジタルで行う。一方で、デジタル化が進むに連れ、改めて銀塩写真の素晴らしさや魅力を再認識しているのも事実である。暫く休んでいた8×10インチ判カメラによるモノクロでの作品創りも再開したいし、これまでに撮ってきた作品をまとめたいと思っている。

1994年に開催した第1回目のファインプリント展で、プリントにのめり込みすぎて薬品に冒されてしまい、体内排出が無理な不治の病と覚悟していた。ファインプリント展を開催する度毎に再発の程度も重くなり、プリント作業も苦しみを伴うが、昨年何とか4回目を開催できた。しかし、最近になって新たな治療方法も見つかり、今年から治療を始める。こんな躰でも、後しばらくは銀塩モノクロプリントを行えることを思うと希望も湧いてくる。今後はどのように銀塩とデジタルを使い分けながら作品創りを進めるかがポイントになるが、進化の著しいデジタル分野への期待も大きくなってくる。

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