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 No.321

三輪 薫(みわ かおる)


No.321 『生きる』/伝統を受け継ぐ人 2007/1/10

晦日には妻の故郷・松江から送ってくれた年越し蕎麦を食べ、晦日から元旦に掛けて妻と二人でお酒を楽しみながらテレビで放映していた伊勢神楽の番組を観ていた。故郷の関ヶ原にも、毎年この伊勢神楽がやってきた。実家はこれらの人達のお昼寝の場所であり、母屋の前の庭に並べた筵が舞台となり、舞い、曲芸を行う神楽人を眺めていたのが懐かしく思い出されてきた。実家の家業が塗師で、舞い踊って痛んだ獅子の頭を父が塗り直し、毎年のように床の間に置いてあった。

幼い子供の頃に不思議に思っていたのが、怖い顔をした獅子が何故か振り袖の着物を着て舞い踊る姿だった。しかし、その振り袖姿で肩車の上で舞う姿に、子供心にも拘わらず妙な色香を感じていたのも懐かしく思い出されてきた。このような数百年も引き継がれてきた伝統を、危機を迎えながらも、現在では若者が引き継いでいることを知り、安心し、今の若者も捨てたものではないなと、嬉しく思って観ていた。伊勢神宮で行われる舞いを一度は観たいと思っている。この神宮舞楽は桑名を本拠地とする伊勢神楽とは別物だそうで、春季神楽祭・秋季神楽祭とあり、内容は神楽殿でお神楽をあげたときに披露される舞いと同じものとのこと。

しかし、このような芸能的な伝統だけではなく、生活スタイルが違ってくると、後継者を必要としない分野や仕事も増えてくるだろう。家なども大手の建築会社が工場で作ったものを現場で組み立て、現場では驚くほど短期に出来上がる。現場でノミやカンナの刃を研ぎながら、こつこつと建てて行く日本建築は日々廃れてゆくのだろう。腕のよい宮大工さんも地域によっては仕事がないとの話も聞く。大工に限らず、左官も同じだろう。竹を組み、土壁を塗る仕事などないに等しいと思う。しかし、奈良や京都などでは寺院の修復などのために、これらの仕事を引き継ぐ若い人も現れているのだから、全くなくなってしまうわけではないのがせめてもの救いである。

写真界もデジタル化によって長年培ってきた職人芸的な技術が、いとも簡単にパソコンで行えるようになった部分も多い。実家の家業・塗師のように機械化もデジタル化も出来ない分野でしか伝統的な技術は生き延びて行くことができないのかも知れない。

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