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 No.323

三輪 薫(みわ かおる)


No.323 『写す』/撮影時の醍醐味 2007/2/1

写真がデジタル時代になって、何が変わったかと言えば、撮影時の緊張感と仕上がりへの不安や楽しみが少なくなってきたことだと思う。確かに、撮影後直ぐにカメラの液晶画面で撮影結果を確認できることは便利で素晴らしく、大きな失敗がないことは嬉しいことだ。しかし、このことによって撮影時の緊張感にあふれた気持ちが軽くなってきたように感じている。撮影の楽しみは、最初から失敗なく写すことが出来ることが全てではなく、様々な失敗を重ねながら試行錯誤を繰り返し、上達することにもあったはずだ。

現在の僕の作風も、これらの失敗作から発見し、学びとったものが多くある。銀塩の暗室でのモノクロ処理も、表現とは何かを知る機会であり、薄暗い暗室だからこそ思考が生まれた部分も多くあるような気がする。銀塩のモノクロ写真を自家処理してきた人と、カラーやデジタルフォトしか経験がない人との作風の違いになって表れてくるとも思っている。

絵画や彫刻や彫塑にしても、抽象的な作品を生み出している作家は、具象画を描かせたら凄い描写ができるのが当然だろう。しかし、シャッターを押すだけで済む写真には、このような基礎的な技法は必要ないように思われ、特にデジタルフォトには全くと言ってよいほどに求める必要がないように思われているように感じる。本当にそうだろうか。何事も基礎力が大切で、その部分を身につけた結果、自分の力になってくれるのが銀塩、特にモノクロではないかと信じている。時代錯誤も甚だしいと言われそうだが、これは意外と当たっているように思う。

写真が生まれて200年近くなり、一時代を築き上げた写真家達も次々とこの世を去って行く。写真界を銀塩写真には無縁な人達が多く占めるようになると、今までの写真の常識も変わり、新たな常識が創られてゆく。これはこれでよいことであるが、折角先人達が日本では絵画などに比べ評価の低かった写真を、同じ表現分野である美術の世界に近づけようと邁進してきたことが無駄になってしまうような杞憂を感じている。しかし、逆に自由奔放な作品創りが可能になったデジタルによって、写真という概念を超えて新たな創作分野を構築することになるかも知れない。これはこれで真摯に受け止めるしかなく、このような時代に生まれ育ったことを喜ぶべきかも知れないと思ってしまう。

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