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 No.326

三輪 薫(みわ かおる)


No.326 『写す』/写真の強さ 2007/3/7

広告などと違って、写真による記録や表現の強さはストレートな撮影によるものと思っていて、何とかこの姿勢は貫きたいと考えている。写真にはストレートに撮る表現ではないフォトグラムやフォトコラージュという表現方法もある。絵画などに近い表現手段かも知れない。

しかし、デジタル時代になり、いとも簡単に画像を処理できるようになって、この本来の写真が持っている写真の強さが忘れ去られて行くような危惧を抱いているのも確かである。撮影後のデジタル処理で何とかなる、何とかなってしまうと考えても不思議ではないからである。

また、銀塩の世界であっても、プリントなどの処理プロセスに拘る余り、撮影そのものよりもプリント処理を重視したかに思える作品もあるような気がする。撮影は仕上がった作品を想定して撮るべきと考えて臨んでいるが、処理プロセスは、あくまで想定の完成形の作品に近づけるための選択でしかないと思う。これはデジタルフォトでも同じである。しかし、デジタル時代になって、写真教室やカメラ誌などでは最も大切な撮影そのものよりもパソコン処理に多くのページや時間を掛けている気がする。

最初の撮影を適度に済ませ、後処理にどれだけ時間を費やしても意味がない。まずは、撮影である。カシャンとシャッターを切った瞬間に全てが決まってしまうことの大切さを思い、このことこそが、絵画などの分野とは一線を引く表現手段が写真独自の世界と考えるがどうだろうか。プロセスそのものに拘りすぎた作品は、一見面白く、凄いと思わせるものがあるが、時間が経つとその処理方法そのものも退化して、その作品の表現力が長く続かないような気がする。写真に限らず、作品表現の力とは、時間の持続性にもあると考えている。長く見ていても、見飽きない作品を創りたい。

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