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 No.402

三輪 薫(みわ かおる)


No.402 『生きる』/百人百様 2007/8/25

世の中には同じ人は一人としていない。だから、考え方や生き方が皆違っていても、全く不思議ではない。しかし、日本は昔から協調性を重んじる風潮があり、下手に自己主張すると「村八分」に扱われることもあった。民主主義の現在も同じかも知れない。

5年前の小泉政権が出来たとき、国民の多くが浮かれているように感じ、違和感を抱いていた。結果、現在の生活が随分幸せになったと感じている国民が、一体どれほど増えたのだろうか。先導されるように流され、自己を見失うと後悔しか覚えないだろう。自慢できることかどうかは分からないが、選挙権を得てから二世三世の議員候補に投票したことはない。政治家が世襲していては、日本は絶対よくならないと当時から確信していたからである。現在でも同じ考え方で選挙に臨んでいる。

人の思いや考え方は人それぞれに違うので、他人の考え方や生き方に影響を受けても、気軽にそのレールに乗ってしまうのは危険なことだと考えている。記憶にある限り、田舎町の保育園に通園して以降、このような考え方を抱いていたような気がする。だから、保母さんも小学校や中学校の先生方も僕にはかなり手こずっていた記憶がある。クラスの大半が先生の主導に従って右だと言えば、僕は左だと主張したことが度々だったような気がする。疑問も抱かずに従うのが嫌だったからだろう。

写真の世界に入ってからも、多くの人がよいと言えばダメだと思い、どちらかと言えば評価されない方向を選択しながら自分の作風を探ってきた気がする。現在振り返っても、この選択は間違っていなかったと思っている。他人に迎合する生き方は好まないからである。僕が生まれる60年以上前にも、僕のような考え方をする人が多数だったら、太平洋戦争など起きようがなかったはずと思っている。仮に起こっても、あのような悲惨な結果には結びつかなかったのではないだろうか。自分の思想で自己主張することを反旗を翻す行動と判断することこそ、怖いことだと思っている。人様々であることがバランスの取れた社会というものだろう。

趣味の写真も然り。百人百様の取り組み方や作風があって当然である。そのためには、他人の評価を得たいとか、迎合することなどを改めることが肝心である。現在一般受けしている体勢派と同じことをすることに疑問を感じ、自分ならどうするのかと改めて考えて欲しい。寄らば大樹とすり寄っても、後に自分が過ごしてきた永い人生を振り返った時、多分後悔しか残らないだろう。自分自身の考え方を大切にした人生を送りたいものである。

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