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 No.403

三輪 薫(みわ かおる)


No.403 『生きる』/生きる責任 2007/9/3

自分が生きるために自己主張したり発言をするには、それなりに責任がつきまとう。だからか、肝心なことにも口を閉ざし、体勢に従ってしまったり、先導に乗っていても疑問を感じることを拒否しようとしている人がいるのかも知れないと思ってしまう。しかし、これは逃げである。

自分が小さな存在と思っても、生きるには各自がそれなりの責任を負っていることに違いはない。だからといって強い人ばかりではなく、自己主張すらできない人もいるだろう。しかし、最低限の自己主張は必要だし、自己放棄をしていては何事も前には進まないと思う。

肩書きを一切持たない写真家として、現在の僕が何となく活動できているのは、自分でも不思議に思うことがある。子供の頃には学級委員をしたり、反面、教室や廊下、職員室や校長室に立たされたり、正座していたこともある。自分の意志に反してではあるが大学進学高に入学してしまい、卒業時には入学当時に思い描いた大学への進学など、その時にはほど遠いレベルで、プライドだけが高く大学進学を断念したこともある。折角継いだ家業の塗師修行も、このままでは親を乗り越えるのが不可能と判断して4年で終えた。その後、写真を学び、卒業と同時に上京して弟子入りした。2年後、結婚して生活不安からフリーでの活動を諦めて写真学校の職員になった。以後も、多くの挫折を味わい、方向転換しながら生きてきた。

それでも何とか、目の前に描いたことは即実行できなくても、結果として思い描いた人生を全うできているのは、何時も不安を感じ、その不安を払拭しようと勇気を振り絞って行動してきたから、今の僕があるのではないだろうかと思っている。小心者の僕でも何とか生きて来られたのは、その時々に自分に課された責任を取るのは、自分しかいないと判断したからだと思っている。結婚後も無茶なことも随分行ってきた。結果、妻を何度も泣かせてきた。しかし、現在何とか暮らし、写真家として生きているのも、自分なりに責任を取ってきたからだと思っている。勿論、僕を取り巻く妻を初めとする実に多くの方々の誠意や援助が合ったから今の僕があると思っている。世の中、自分一人では生きることは出来ない。感謝あるのみである。

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