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 No.405

三輪 薫(みわ かおる)


No.405 『写す』/デジタルプリント 2007/9/18

以前、デジタルのカメラ誌編集部の方と打ち合わせをしていて、「愛好家の方々のプリントが、どうしてこんなにも色鮮やかで、いろいろといじっているのだろうか。もっと自然のほうがいいのに」と言っていた。おやっと思う発言だった。何故かと言えば、一般のカメラ誌には、色鮮やかでハイコントラストな写真が多く掲載されているからで、口絵などに登場するプロの作品にもこのような作風が多いからだ。

カメラ誌に限らず、売れてなんぼの世界であり、購入してくれる読者の意向に沿った、期待する方向への編集方針を選択しなければならないのが編集者の務めである。デジタルフォトを楽しむ読者も、月例やフォトコンテストに応募する人には、まだまだ銀塩写真からデジタルに入った方が多いと思う。だからこそ、RVPやE100VS、ダイレクトプリントの再現に慣れ親しみ過ぎた影響がデジタルフォトの世界にも出ているのかも知れないと思っている。しかし、ひょっとしたら、何の疑問もなく、自然らしさを越えた鮮やかハイコントラストな描写こそ、よいのだと思っている編集者も多くいるのかも知れない。

一方では、先の編集者のように、現在溢れた鮮やかハイコントラストなデジタルプリントに疑問を感じている人もいる。世の大勢にすり寄らない雑誌編集者がいることに安堵感を抱く嬉しい言葉だった。

しかし、趣味の世界のカメラ誌とはいえ、編集に携わる人達の責任が如何に大きいかを自覚しながらその仕事に携わっている編集者がどれだけいるのだろうか。巷の写真愛好家には、あのプロ写真家の作品だから、その人の書いていることだからと、疑問もなく受け入れている人も多い気がする。しかし、一歩下がって冷静に眺め、読んでみると、意外でもないことだが、それがよくて、正しいことを言っているとは限らない。今受けの写真だったり、言葉に過ぎないことも多い気がする。それらの写真や記事を掲載することを決めたのは編集者である。

ある写真愛好家の方に、「この先生は日本一の写真家だと信じ、何を置いても付いてきた。しかし、10年経って、この10年は何だったのか。馬鹿馬鹿しくて話せません。」と言われた。僕もプロの写真家として生きているし、愛好家の方とのお付き合いも多い。このように言われない自信はあるが、心しなければならない言葉だった。

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