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 No.413

三輪 薫(みわ かおる)


No.413 『写す』/銀塩とデジタルの表現の違い 2007/11/27

写真界もデジタル全盛となり、アナログ派を自負する僕も小型カメラでの撮影は大半デジタルに移行している。その代わりフイルムでの撮影の主体は中判がメインになり、小型カメラ用のフイルムはコダクロームが多くなっている。コダクロームは自然風景を撮り始めた頃から20年近くメインのフイルムだった。しかし、コダクロームの現像が増減感出来るようになった頃からか、色合いなどの仕上がりにフィット感を覚えず、エクタクロームなどに移行してしまった。だからといってコダクロームを使わなくなったのではなく、少しだが平行撮りしてきた。

コダクロームは昨年末に国内販売が終わり、来月には現像も打ち切られる。だから、僕の自然風景写真の原点であるコダクロームを今年いっぱい使い続けることが、このフイルムへのささやかな感謝のつもりと思って撮り続けている。僕にとってメインでなくなったコダクロームは不思議なフイルムで、現像が出来上がったときには大半のコマにフィット感を抱くことは少ない。しかし、時を経て見直すと、何故か熟成されたウイスキーなどのように独特の味わいを感じる。どうしてだかは分からない。だから、不思議。

自然風景を撮り始めてから一貫として「自然は自然らしく撮る」姿勢を持ち続けてきた。だからコダクロームがメインであっても、ボディーを多く用意して、様々な銘柄のフイルムを使い分けてきた。光や気象、その時に出合った被写体の色合いなどを素直に再現するために最も適したと思われる、仕上がりを予想できるフイルムを選択してきた。この選択にはコマーシャルフォトを撮っていたことが随分役に立った。初期の頃にはカラーメーターを持って行き、色温度も測りながらフイルム銘柄選択の研究をしていたものである。

現在、デジタルがメインになってしまったが、フイルムで撮るときにはなるべく自然に見せ、面白く撮ろうとか、ドラマチックに撮ろうとか、色合いを誇張しようとは思わない。だから晴れた日に鮮やかタイプのフイルムでPLフィルターの多用はしない。なるべく見たまま感じたままに自然に写ればいいと思っているからである。

一方のデジタルでの撮影には、フイルムでの撮影とは違った観点で臨んでいる。色合いやコントラスト再現は、フイルム銘柄の選択やPLフィルターなどの使用と露出値などだけでは自分が感じたものを正直に引き出すのは難しい。画家が自分の色を作り出すような感覚で、デジタルならではの表現世界の技法を駆使し、求める色合いやコントラストを引き出した作品創りを行っている。言ってみれば、フイルムでは見たままの自然らしく撮り、デジタルでは心に感じた世界を表す使い分けをしていると思っている。この選択は今の時代だから可能になってきたのだろう。

明日から始まる「わの会」『大判中判カメラ同好会』第一回写真展は、銀塩写真の魅力と、撮る側の楽しさと心の充実感を会場一杯に漂わせたものだ。デジタル全盛とはいいながらも、銀塩写真の可能性が廃る訳でもなく、デジタルとは対極的な表現世界がまだまだ健在であることを示してくれている気がする。是非、会場に来て観て頂きたい。

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