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 No.452

三輪 薫(みわ かおる)


No.452 『生きる』/酷なデジタル放送 2008/10/13

数年後に迎える地上波デジタル化は、TVに登場する多くの女優やタレントには酷なものである。随分以前にハイビジョンの放映が始まった頃、細かな皺もはっきりと映り、アナログのTVでは確認できなかったきめ細かな部分までもさらけ出されてしまい、女優やタレントの出番前の化粧時間が倍増して大変だと聞いたことがある。何でも、正直にさらけ出すのがよいとは限らない。

世の中には引き算と足し算のバランスを取ってこそ、自然体で生きることが出来るのではないだろうか。デジタル時代の到来は、これらに足し算は与えてくれても、引き算は無用と押しつけられているような気がしてならない。

写真にしても、全ての画像が克明描写であってよいとは限らないのと同じである。我が家のTVはいまだにブラウン管タイプであるが、結構気に入っている。程よく映るくらいが丁度よいと思っているからだ。旅に出たときなど、ホテルや宿で観るTVには液晶タイプが多くなっているが、心地よく感じることは少ない。余りにも克明に映りすぎて、色合いもハイコントラストで、観ていても疲れてしまうからだ。特に人が映っている場面に、そのように感じることが多いような気がする。自然風景などの番組はまだよいのだが、ドラマなどでは気持ち悪く感じることもある。何事もほどほどでよいのではないだろうか。

銀塩写真のフィルムの粒子が好きである。特に報道写真の小型カメラで撮影された粗れた画面から受ける強い印象は、この粒状性も何処かで影響しているはずだ。デジタル時代になった今、世の中に溢れる画像が、粒子のない、ぬめっとしたきめ細かなものになってしまったら、一体どうなるのかと危惧してしまう。杞憂だろうか。デジタルカメラが発売になる度毎に画素数も増え続ける。果たして、小型カメラに1,000万画素以上もの情報量が必要なのだろうかとさえ思ってしまう。だからこそ、スモールRAWを2つ付けて欲しいと長年要望を出し続けてきた。キヤノンEOS Digitalでは、EOS 40D で1つ付き、11月に発売になる EOS 5D Mark II でやっと2つになった。RAW撮影で画素数を選択できるのは嬉しいことである。

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