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 No.453

三輪 薫(みわ かおる)


No.453 『写す』/デジタル時代の功罪 2008/10/20

僕は随分ご無沙汰しているが、写真業界には写真をレンタルするフォトライブラリーがある。デジタル時代になった今、デジタル画像の写真は年々扱う画素数が高く設定されているようだ。しかし、フィルムには制限がなく、デジタル写真が一般的ではなかった時代と同様の扱いを受けている。つまり、1,000万画素以下は扱わないと決められたら、撮影当時には最高画質であった1,000万画素以下の写真は商品価値がなくなり、ゴミと同じ扱いになってしまう。折角撮ったものが活用の機会を失うことになるのだ。これはライブラリーカメラマンにとって罪なことである。

35ミリ判フィルムをデジタル画像に置き換えると、多分600万画素くらいだろう。しかし、現在のライブラリー業界では、このような携帯電話機的な画素数なら何処も扱ってくれないのではないだろうか。実に不思議なことで、僕には理解できない。考えようによっては、フィルム画像が恒久的なもので、デジタル画像は消費物扱いとも言える。実に悲しい。

しかし、写真がデジタル化を迎え、銀塩世界ではなしえなかったものが現実的になり、表現の幅が広がっているのも確かである。僕など、長年ファインプリントとしての和紙プリントを作ることを念願としてきたが、デジタル時代の到来によって、いとも簡単に実現できた。アーカイバルな和紙に顔料インクでプリントしたものは、銀塩ペーパーによるファインプリントよりも耐久性が高いという。フィルムをスキャナでデジタルデータ化して和紙にプリントしたり、デジタルカメラで撮って、銀塩フィルムとは一味違った描写で創り上げた和紙プリント作品を個展で発表し続けている。これは嬉しいことで、デジタル時代の到来の「功」とも言える。

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