Toppageへ
 No.462

三輪 薫(みわ かおる)


No.462 『生きる』/掛け走った50代 2008/12/31

6月で還暦を迎えてしまった。80歳過ぎまで現役で撮影しようと考えていたが、1994年に開催したファインプリント展の暗室作業でプリントに拘りすぎて薬品に冒され、写真家人生を修正した。このままの体調では、70歳くらいが限界かも知れないと判断したからだ。

そのようなこともあり、50歳を迎える頃、まず20年分を10年で行おうと決心した。幸いにも長年考え、準備を進めてきた『カメラで日本画や水墨画を描く』作風をプリントに再現する和紙プリントが、デジタル時代の到来で可能になった。そのことを幸いと考え、ここ10年突っ走ってきた。活動の主体は個展であり、50歳になるまではほぼ二年毎に開催してきたが、50代には倍速で11回開催した。銀塩プリントのみで4回、和紙プリント展を5回、銀塩とデジタルプリントのコラボレーション展を2回である。和紙によるデジタルプリント展は、撮影もデジタルで行ったのは「風色-II」と「花逍遙-II」展の2つだ。コラボレーション展も含め、他のデジタルプリント展はフィルムをデジタルデータ化して出力している。フィルムの乳剤が持つ再現性の高さと魅力は、デジタルとは一味違っているからである。来年3月には、5回目のファインプリント展を開催するが、今回も前回同様にコラボレーション展でと準備している。勿論、元画像はフィルムである。

デジタル時代の到来は、今年の初めにも書いているが、数十年前くらいには僕が65歳くらいなる頃にしか実現しないだろうと予想していた。それくらいに、僕らが現実的にデジタルカメラを購入し、インクジェットプリンタで自家処理するにはほど遠い存在でしかなかったからである。30年以上前のワープロは数百万円もしたが、現在の携帯電話機で打つ文字機能のほうが優れている。FAX機器しかり。進化は目覚ましく、予想や期待感よりももの凄いスピードでやってきた。お陰で早々と夢だと思っていた作品創りも出来たし、嬉しい50代だった。しかし、一方で、銀塩写真のフィルムや印画紙が次々と姿を消している。銀塩写真は不滅でなければならないと思っているだけに残念なことである。

60歳に突入した今、来年以降はどのようになるのか、どのような生き方が出来るのか、興味津々なのと、困惑が混同しているまま年の瀬を過ごし、新年を迎えようとしている。

戻る