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 No.464

三輪 薫(みわ かおる)


No.464 『生きる』/人生や人の出会いの不思議-2 2009/1/10

僕が若い頃には、各写真メーカーには親分肌の責任者が多くいたものである。未知数な若者がどれだけ多く救われ、心強く思ったのかは言うまでもないだろう。しかし、現在の会社では組織つくりも変わり、このような懐深く、暖かな目で若者を見つめてくれる人材を育てることを積極的には推進しようとしていない気がする。写真業界もデジタル時代になって厳しくなり、そのような余裕がなくなってしまったのかも知れない。僕らの世代はよき時代に生きてきたと言わざるを得ない。嬉しい限りである。

和紙に出力した初めてのデジタルプリント展「風香」は、2003年に京都のセイコーエプソンギャラリーと六本木のAXIS GALLERY ANNEXで、2005年に鳩居堂ビルから有楽町駅前の東京交通会館7Fに移転した京セラ・コンタックスサロン東京の3会場で開催できた。この「風香」展の実現は、キヤノンサロンで開催したフィルム撮影での「風色」展の一年後に、EOS Digitalで撮り、伊勢和紙のデジタルプリントで展示する「風色-II」展を希望通りに開催できなかったのが発端だった。申請した審査では高い評価を得られたそうだが、「風色」展の開催後一年しか経っていないからという理由で却下された。勿論、申請前にはこの件は確認済みで、1年後でもOKということだった。しかし、却下されたことが「風香」展開催に結びついたのだから、今は却下されたことを感謝している。「風色-II」展は「風香」展開催の翌年2004年にキヤノンサロンで開催できた。当時は和紙プリントが珍しかったのか、話題になってビックリ仰天の多くの人達の来場を得た。

長年、『カメラで日本画や水墨画を描く』作風の研究や構築に注いできた結果を早く試したかった。「風色-II」展の開催が却下されたとき、相談、いや、嘆いた相手が中北さんだった。結果、セイコーエプソン(株)のピエゾグラフラボラトリー部門の方を紹介された。高校時代の先輩だという。売り込みが苦手な僕もこの時ばかりは別人になった。この部署には懐深い人達が多く集まり、打合せの度毎に理想的な個展開催の実現へと話が進んだ。伊勢和紙の大豐和紙工業(株)、越前和紙の(株)杉原商店、セイコーエプソン認定ラボ(ピエゾグラフ)の(有)ネオワークスの後援も得られ、まさに人の繋がりで「風香」展が実現した。長年求め続けてきた「カメラで日本画や水墨画を描く世界」を現実のものとして、僕が願う理想的な個展開催に導いていただいたのは、これらの方々のお陰と感謝している。

フリーになって長年講師業を続ける内に、写真業界で最も長くお付き合いのある方からキヤノンクラブの事務局長を紹介された。EOS学園の講座を担当するようになって、受講生の宇野雅夫さん達との出会いが「わの会」発足へと繋がり、昨年10月で10周年を迎えることが出来た。「わの会」も11人の世話人の方々のお陰と尽力で運営され、撮影会、教室、『集いの会』や写真展などと楽しく充実した内容の会に育っている。会員は、僕の作風が好きな人達が全国から集まっていることも嬉しく心強い。現在ではEOS学園の他にキヤノンフォトクラブ東京第1、東京第5、湘南と3つのクラブの専任講師でもあり、フォトワークショップ「風」を主宰し、フォトセミナー「宙」やカルチャースクールの東急BE青葉台の教室も担当している。写真が好きで人生を楽しく送っている方々に囲まれて過ごすのは幸せなことである。

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