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 No.477

三輪 薫(みわ かおる)


No.477 『写す』/衰退する銀塩カメラとでデジタルカメラの進化 2009/6/10

デジタルカメラが家電製品とも言われている。確かに外見はカメラだが、中身はほとんど電化製品並みのものだからだろう。しかし、現実には、次から次へと新機種が発売になり、数十万円もするカメラでも、その賞味期限は大半1年か、妥協しても数年である。そのような高価なカメラ以外の家電製品が、同じような賞味期限であるかと言えば、NOである。

少なくとも5年や10年は使い続けるだろうし、1年か数年と分かって購入する奇特な人はいないと思う。しかし、何故か写真業界では、そのような不思議がまかり通っている。僕にしても2001年にキヤノンEOS D30が発売になって購入してから既に8台も購入している。銀塩カメラは安価なタイプと高価なタイプで、実質の写り方には大きな違いはない。ボディーは箱だからである。しかし、デジタルカメラは、銀塩カメラのようなレンズとフィルムをつなぐ箱ではなく、新機種がより安価になっても進化している分機能は高くなってくる。

銀塩カメラはもはや完成形だが、デジタルカメラはまだまだ発展途上。発売の度毎により充実したスペックになり、安価になり続ける。余りにも急だった進化が一体何時まで続くのだろうか。毎年のように新機種が発売になるが、購入に付き合うのも大変である。スペックも充実し、画素数も増えれば愛用のMacも買い換えを余儀なくされてくる。ソフトも同じだ。

小型カメラがデジタルに移行するに従って中判以上の銀塩カメラが見直されると思っていた。しかし、愛用者が多かったペンタックス645も昨年製造中止となり、中判カメラの最高峰であるHasselblad も実質デジタルに移行している。デジタルは小型カメラで、銀塩は中判以上のカメラでと言う考え方も変えざるを得なくなってきたような気がする。しかし、販売量がダントツ少ない中判のデジタルカメラは高額すぎて買えない。また、デジタルカメラの魅力や活用性の高さは認めるものの、撮影時の心の充実感はまだまだ銀塩である。プリントも同じで、細部の再現性のクオリティーを求めるならデジタルプリントがベストだが、だからといって銀塩プリントがデジタルプリントン比べ見劣りする訳ではない。見比べてもそれぞれによさがある。共に、目的で選ぶのがベストだ。

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