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 No.488

三輪 薫(みわ かおる)


No.488 『写す』/大判中判カメラの楽しみ 2009/9/25

発売されるカメラは大半がデジタルであるが、昔ながらのメカニカルカメラの魅力もまだまだ大きいと思っている。銀塩カメラのボディーにはシャッター機構とフィルムの巻き上げ装置、レンズには絞りと距離を合わせるヘリコイドやズーミング用のリングがある。どれだけカメラが進化しても、ピントや露出値を決めるのを自動化したに過ぎなく、基本的には同じである。

自動化したカメラだからといって、カメラ任せだけで期待する描写に結びつくように撮ることが出来るわけではない。多分割測光(評価測光)とはいえ露出補正は必要だし、ピントもAF機構を利用しても思うところに完璧に合うわけではない。特に望遠レンズを使って開放絞値近くでピントをシビアに合わせるには、カメラ任せでは目的以外の場所に合ってしまうことなど多々ある。最後にはマニュアルで合わせるため、全てがマニュアルのメカニカルタイプのカメラと同じと考えてもよい。余りにも自動化されたカメラを使い続けていると、長年培ってきた勘も衰えてしまう。

しかし、デジタルカメラのライブビュー機構は優れもので、大型カメラのピントガラスをルーペで拡大して見るように、画像を5倍10倍と拡大してピントの詳細を確認できる。しかも、フィルムと違って撮影した画像は100%使え、そのためにも視野率100%以下のカメラで三脚使用の時は常用するのがベストだ。フィルム画像はプリント時に周辺が少しカットされることが多く、視野率100%のカメラのフォーカシングスクリーンには視野率97%くらいの位置にラインを入れ、100%では撮らないようにしてきた。

30年近く前に初めて買った暗箱の8×10インチ判カメラの製造会社で、自社の木製手作りのフィルムホルダーは量産のプラスチックホルダーより精度が高いと自慢していた。この精度の良さは職人芸のなせる技である。撮る楽しみにも共通性があり、カメラ任せで撮った写真より、自らの意思と勘を働かせながら創り上げた作品のほうが出来上がった喜びも大きく、満足感も高いと思う。撮影の満足感や心の充実感は大判カメラに勝るものはない。カメラ任せになる部分が少ないほど満足感も高く、大きくなるような気がする。

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