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 No.505

三輪 薫(みわ かおる)


No.505 『生きる』/もったいないは、死語か 2010/3/5

「もったいない」と言う言葉は、世界共通語になっていると聞いたことがある。物を大切にすることは大事なことで、日本人の姿勢が評価されてのことだろう。しかし、「エコ・エコ」と叫ばれ、古い物を使い続けることを否定するような風潮がはびこっている。この有様を見ていると、日本で生まれた「もったいない」と言う言葉は、いまや死語になってしまったのだろうかと思ってしまう。

この「エコ」という言葉にだまされたことがある。環境に優しいと大気を熱源としてお湯を沸かす機器を勧められ、償却はできなくても環境に優しいならとローンを組んで買った。安価な軽自動車や現在のデジタルカメラの最高機種くらいの価格だった。しかし、フロンガス使用のまがい物で、環境に優しいとはとても言えない代物だった。しかも、高額の割にはしょっちゅう有料のメンテナンスを必要として困っていた。これを作り販売していたのは日本を代表するトップの家電メーカーだったから信用して買ったのに、利益のみを追求する企業は信用できないと思ってしまった。以後、この企業の製品は買いたくないと考えたのだが、身の回りの製品を眺めるとそこそこあって複雑な気分である。

デジタルカメラやパソコンやマックなどは進化するばかりで、数年経ったら買い換えを余儀なくされてしまう。まさに「もったいない」という存在になってしまう道具である。写真がデジタル時代を迎え、撮影後にかかわる時間がフィルム撮影に比べ実に膨大になってきた。生きる時間には限界があり、このまま行くと与えられた人生の残り時間を満喫するどころか、かなりの時間をデジタルに奪われてしまう気がする。デジタル時代の到来はいいことや嬉しいことも多くあり歓迎することも多いが、人生を楽しむ時間がエコではなくなってくる。このままでは「もったいない人生」となってしまうのではないかと危惧してしまう。

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