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 No.509

三輪 薫(みわ かおる)


No.509 『生きる』/日本の食糧-2 2010/4/15

僕が子供の頃には日常何を食べていたのだろうかと思い出そうとしても余り記憶に残っていない。山間の小さな町で、当時は流通も現在のようではなく、たいしたものは食べていなかったと思う。畑で作った野菜が大半で、たまに魚屋さんで塩鯖やサンマや鰯を買っていたような気がする。都会の生活は余り知らなかったので、そのようなものだと思っていた。たまに神戸で生まれ育った母の実家や叔母の家に遊びに行っていたが、何を食べさせてくれたのか余り記憶がない。街中で化粧品店や喫茶店を経営していた叔母の家に行くことが多かったが、多忙なため、近所のお好み屋さんで従兄弟と一緒に度々食事していたのは覚えている。関ヶ原の実家でもお好み焼きやたこ焼きを、よく作っていた。僕の得意料理の一つに三輪薫流のお好み焼きがあるが、幼児体験からきているのだろう。

名古屋の専門学校を出て直ぐに上京し、弟子入りしたところの猫の餌を見てびっくりした。鰹の生利節を美味しそうに食べていたからだ。これは僕の田舎では日常的なおかずだった。だからか、塗師から写真家に転向し、フリーになって各地を飛び歩いて美味しい海の幸や山の幸を食べることが出来るようになり、何よりも幸せと感じてきた。新鮮で美味しい食材が当たり前のようにある生活に慣れてしまった。いいことなのか悪いことなのかよく理解できないが。

先日TVで外食産業のことを取り上げていた。売り上げが多い会社での消費される食料の多さにびっくりした。しかし、外食産業の店も安価になるばかりで、高価な国産の食材を多く使うことは無理で、何処まで安心して食べることが出来るのか怪しいものである。子供の頃に食べていた自家栽培の野菜などには必ずと言ってよいほど虫がいた。虫が食べるのだから安心な食材である。農薬野菜が大勢を占めるのは消費者が求めた結果だろうから文句は言えない。悪いのは消費者である。

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