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 No.510

三輪 薫(みわ かおる)


No.510 『生きる』/自分に正直に生きる 2010/4/25

人生には色々なことがあり、思うようには生きられない。何度も後悔したり、挫折を繰り返してきた。しかし、後悔しても時間が戻るわけでもなく、何も始まらないことは分かっている。現在の生活や仕事に満足している人はどれほどいるのだろうか。ある大会社の人に尋ねたら、大半の人がその職業に満足していなく、担当する仕事を喜びとしている人は少数派であると言っていた。それが現実かも知れない。

人生の最初の後悔は高校の入学試験だった。それほど望んでいなかった進学校に入学願書を出し、受験の最後の科目を前にして回答することを拒んでいた自分をはっきりと覚えている。つまり、この高校には通いたくないとの拒否反応が起きたのだ。しかし、結果として最後の10分くらいで回答し、無事合格となった。白紙答案を出したら、他の科目の合計点が合格ラインに楽に達していても問題になっただろうと推察する。当時には合格後に他の学校に転校できる制度があったなど知らなかった。

このような気持ちを抱いたままの高校生活は惨めなものだった。この高校の入学試験の前に病院で検査を受けたらビックリの高血圧で通院を始めていて、一年目の体育の授業はドクターストップで常時見学だった。そのことも影響してかまともに勉強する気持ちにはなれず、怠ける一方の高校生活だった。一学年9クラスの二期制だったが、入学後半年にして成績もダントツに落ちた。クラス内の序列も入学時の序列よりも落ちてしまい、クラス全員の前で担任から度々嫌みを言われたのもはっきりと覚えている。こんなに一気に成績が落ちたのは、この高校では多分新記録だっただろう。思い出しても楽しいことは何もなかったといえるくらいの記憶しか残っていない。結果として、プライドだけは高い自分が望む大学には到底合格できそうになく、興味があった家業の塗師を継ぐことにした。しかし、師匠は実父だったから他人の師匠に弟子入りして修行を積み上げてきた父のような厳しさはなかった。従って親を超えることは無理である。本人の心構えの問題だろうが、相撲の世界のような厳しさは期待できない環境だった。これを自覚した途端、塗師ではない仕事を求め始めた。

世の中には自分の親に弟子入りし、親を超えた人もいる。僕が4年で諦めたのは親を超えようとする自分がなかったからだと思っている。当時にはどこかで父親に甘えている自分があったからだろう。しかし、そのようななまくらな自分だったからこそ、写真の世界に入り、現在納得の行く自分があるのだから人生面白い。挫折の人生も捨てたものではないと思っている。

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