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 No.512

三輪 薫(みわ かおる)


No.512 『生きる』/着メロ 2010/5/15

僕は携帯電話の着信音に「着メロ」と呼ばれるものを使ったことがない。いや、拒否反応が強く使いたくない。「着メロ」愛用者は音楽が好きなのだろうかと思ってしまう。何故なら、音楽が好きなら途中で止めることなど苦痛に感じるのではないかと考えるからである。

しかし、このことを娘に話したら、「好きだからこそ使っていて、途中で止めてもその先のメロディーが浮かび、イメージ豊かになる」と言っていた。レコードを掛け、その音楽を聴いている途中に針を上げられたら決して気分のよいものではない。音楽とはそういうものである。なのに、電話の着信音に音楽を使うなど、誰が考えたのか疑問に思ってしまう。

着信音のメロディーによって誰から掛かってきたのか分かるのは確かに便利かも知れない。しかし、登録している相手なら表示で分かることである。巷のあちこちでブンチャカ、ブンチャカと実に奇妙な音が鳴っているのを聞くに忍びない。そのように思っているのは僕だけだろうか。そう言えば音楽の垂れ流しは至る所にあり、ときには騒音としてしか聞こえないことも多い。音楽は本来、心の糧となり癒しのものだと思っているが、騒音にしか聞こえないような使い方を疑問もなく行っている現状がある。著作権の使用料が入るからと自分の音楽を提供しているとしたら、実に嘆かわしいことである。

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