Toppageへ
 No.522

三輪 薫(みわ かおる)


No.522 『生きる』/忘れてはいけない史実と忘れたい事実 2010/8/15

百科事典ではお盆を「太陰太陽暦である和暦(天保暦など旧暦という)の7月15日を中心に日本で行なわれる祖先の霊を祀る一連の行事」と書いてあるが、僕が育った関ヶ原でのお盆は8月15日だった。8月15日は終戦記念日でもある。しかし、今の若者達の中には「終戦記念日」と言う言葉ですら死語になっている人もいるという。

亡き父は20代の大半を3回の徴兵を受けて満州で過ごしていた。10代の大半は塗師の修行に明け暮れていて、父にとって僕らの世代でいう青春時代はなかったのかも知れない。それでも1945年8月15日の終戦日を実家で迎えることが出来たのだから幸いと言えるかも知れない。父は満州で母と出会い、関ヶ原で結婚した。だから僕を含め4人の兄妹がいる。僕らにとっても幸せなことと言えるだろう。

8月になると毎年のように僕らの世代は太平洋戦争といっている侵略戦争のことをあれこれと政治家が話し、マスコミも取り上げる。しかし、史実を史実としてありのままにどれだけ正確に伝えているのかは戦後生まれの僕たちには分からない。歴史には忘れてはいけない史実と忘れたい事実があるようだ。勿論、後者は史実をそのままに受け止めたくない人の願望だ。しかし、一方では侵略された側が侵略をした側を未来永劫許さず、追求を続けていたら一体どのようになってしまうのだろうか。国と国との関係も、それを司る政治家が戦後生まれの人が全てになってしまってもずっと続くとしたら国同士の付き合いに未来はない。臭いものには蓋をと考える側と、何時までも追求し続ける側には接点もなく、未来は暗くなる一方である。何処かでお互いの妥協点を見出さないと解決は不可能である。

また、謝罪する側も、追求する側も、史実を実際の事実として正確に認識していないと誤解も生まれる。お互い都合のよいように考えたがったり、史実を間違って解釈したりと、政治家と学者の認識のズレもあるようだ。戦後65年、そろそろ解決の糸口を見つけて欲しい。これが政治家の勤めなのだから。

戻る